もひとつ展覧会のお話。
「ブータン 幸せに生きるためのヒント」展. 2016/05/21~07/18. 上野の森美術館, 東京.
を見に行ってきました。まだまだいたぞ、修学旅行生(笑)。
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今回の展示の特徴は、織物・衣類関係が多いこと多いこと。1階はほとんどこれらで埋め尽くされている。織物ファンは必見ですよ。
ブータンの正装ゴ བགོ bgoとキラ དཀྱིས་རས་ dkyis rasの着用法の映像が面白い。何度も見てしまいましたよ。
なお、bgoは、チベット語では動詞「着る」の意味。dkyis rasは、「dkyis」の意味がわからない。もしかすると「kyir ras=丸い布(体にぐるりと巻きつける布)」なのかも。
あと「skyid ras(喜びの布=晴着)」なんていうつづりも思い浮かぶ。本当のところを知っている人は教えてください。
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2階は仏教関係(仏像/仏画)。18世紀以降のものが多く、それ以前の古いものは少ない。
ブータンでは、仏教は吐蕃時代から伝わっているが、本格化するのはシャブドゥン・ンガワン・ナムギャル ཞབས་དྲུང་ངག་དབང་རྣམ་རྒྱལ་ zhabs drung ngag dbang rnam rgyal(1594-1651)がチベットからやってきて、ドゥクパを広めてから(17世紀)。比較的遅いのだ。
それでも、展示されているタンカ ཐང་ཁ་ thang khaは見事なものが多い。ガラスで仕切られてもいないので、図像を間近に見ることが出来、お得です。
仏像とタンカが並べて展示してあるのもいい。図像学の勉強にもなります。
11世紀のカダム・チョルテン དཀའ་དམས་མཆོད་རྟེན་ dka' dams mchod rtenが美しかった。これはカシミール産かもしれない。
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グル・リンポチェ གུ་རུ་རིན་པོ་ཆེ་ gu ru rin po che(Padmasambhava पद्मसम्भव)に調伏された女神コンツェ・デモ=コンツン・デモ ཀོང་བཙུན་དེ་མོ་ kong btsun de moの像も面白い。これはもともと仏教の尊格ではありません。
http://www.sankei.com/life/photos/160526/lif1605260009-p2.html
ブータンの土着女神と思っている人が多いかもしれないが、この女神はその名の通り、中央チベット南東部コンポ ཀོང་པོ་ kong poの守護女神である(注)。
ニンティ ཉིང་ཁྲི་ nying khri(林芝)にあるデモ碑文 དེ་མོས་རྡོ་རིང་ de mo sa rdo ringで有名な場所「デモ དེ་མོ་ de mo」の名がついている。おそらく、そこが古代王国コン・ユル ཀོང་ཡུལ་ kong yulの中心であり、女神の在所でもあったに違いない。
しかしこの像が7~8世紀のもの、というのは本当だろうか?グル・リンポチェによる調伏譚が「8世紀」という設定であっても、像もその時代とは限らない。
仏像とはスタイルが全く異なるので、形式から時代を推察することはできない。確かに素朴な作りではあるのだが・・・。
(注)
そのデモ碑文には、「ディグム・ツェンポ དྲི་གུམ་བཙན་པོ་ dri gum btsan poの二子のうち、兄ニャキ ཉ་ཁྱི་ nya khyiがコン・カルポイ・ジェ རྐོང་ཀར་པོའི་རྗེ་ rkong kar po'i rje(コンポ王)となり、弟シャキ ཤ་ཁྱི་ sha khyiがラ・ツェンポ ལྷ་བཙན་པོ་ lha btsan po(ヤルルン王)となった。コン・カルポはクラ・デモ སྐུ་བླ་དེ་མོ་ sku bla de moを娶った」とある。
このクラ・デモとコンツン・デモは同じである可能性が高い。
してみると、コンポ王家は土地の守護女神コンツン・デモ=クラ・デモの子孫を称し、地元の尊厳を集めていたとみられる。あるいは、コンポ王家には代々コンツン・デモ=クラ・デモと形式的に婚姻を結ぶ儀式があった、と推察することもできよう。
余談だが、私はコンポ王が本家で、ヤルルン王(吐蕃王)の方が分家だったのではないか、とみている。後に立場は逆転してしまうが。
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コンポとブータンの関係を示すものが、もうひとつありました。1階に展示してあった貫頭衣シンカ 。このスタイルの衣類は、チベット・コンポに見られる。
シンカは བཞིན་ཁ་ bzhin kha=顔の口(丸首)であろうか。
展示してあった貫頭衣がどの地方のものか説明はなかったが、おそらく
2014年4月23日水曜日 「ブロクパ」とはどういう意味か?(3)
で紹介した、ブータン東部タシガン県のブロクパ འབྲོག་པ་ 'brog paの衣類に違いない。
さっきのコンツン・デモ像も、コンポからブータン東部を経て持ち込まれたのかもしれません。
しかし、ちょろっと展覧会を見に行っただけでも、こんなにおもしろい話に展開できるんだなあ、と、ちょっと感動。またなんか展覧会に行こう。
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ブータン女性というと、昔は皆おかっぱかショートカット。あれはどういう理由なのか、いまだにわからない。長い黒髪に高い価値を置くチベット文化圏にしては、珍しい習俗だった。
しかし、最近の映像を見ると、ロングヘアの女性がずいぶんと増えた気がする。これはチベット文化の影響というよりも、インド文化の影響だろう。
それに、映像のモデルになるような女性ともなると、ツケマ・バリバリ。王妃ジェツン・ペマ・ワンチュク རྗེ་བཙུན་པདྨ་དབང་ཕྱུག rje btsun padma dbang phyugも正装ではツケマをつけているように見えるがどうか(マスカラか?)。
素朴を売りにしてきたブータンも、こういうところから近代化が急激に進むのかもしれない。
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参考:
・王堯・編著 (1982.10) 『吐蕃金石録』. 14+3+206pp.+pls. 文物出版社, 北京.
・René de Nebesky-Wojkowitz (1996) ORACLES AND DEMONS OF TIBET : THE CULT AND ICONOGRAPHY OF THE TIBETAN PROTECTIVE DEITIES. xvi+666pp.+pls. Book Faith India, Delhi.
← Original : (1956) Mouton, Hague.
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(追記)@2016/06/05
出口に大きなマニ車 མ་ཎི་འཁོར་ལོ་ ma Ni 'khor loがあったので回してきたが、とにかくクソ重い。
普通あの大きさのマニ車は回しやすいように取っ手がついているものだが、それもない。抵抗が大きくすぐに止まってしまうし、つまらん。
そもそもアトラクションなので、中に経典など入っていないだろうし、功徳もないのはわかってはいましたが、楽しい気持ちにも全くなりませんでした。
あれはもっとクルクルと惰性で回っていてほしい。それで行き掛けにちょろっと触る程度で回していくのが良い。
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(追記2)@2016/07/27
・脇田道子 (2011) 民族衣装のポリティクス インド、アルナーチャル・プラデーシュのモンパの事例から. 日本文化人類学会研究大会発表要旨集, vol.2011, p.50.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasca/2011/0/2011_0_50/_pdf
という論文(学会発表要旨)を見つけました。
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インドのArunachal Pradesh州Tawang རྟ་ཝང་ rta wangのモンパ མོན་པ་ mon paの衣装に焦点を当て、ブータン東部のブロクパ འབྲོག་པ་ 'brog paやチベットのコンポ ཀོང་པོ་ kong poとの関連を探ったもの。
Tawangのモンパの衣装は、シンカをはじめ、ブータンのブロクパのものと一緒なのだそうだ。となると、一見コンポ→Tawangのモンパ→ブータンのブロクパという伝播ルートを想定したくなる。
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ところが、論者の主張は、モンパがブロクパから影響を受けたという結論。衝撃ですね。下(南)から上(北)への影響というのは、あまり見られない文化圏だけに。
また、モンパの衣装とは別に「チベットのコンポ地方のものと同じ
で、一般的なモンパのものとはまったく異なっている」衣装を着る人々もいるとのことで、この辺がこの短い論考ではよくわからなかった。
貫頭衣シンカはもともとモンパの文化にあったらしいので、そのくくりでは「コンポ→Tawangのモンパ→ブータンのブロクパ」という伝播ルートはまだ適用可能な気もする。
論者が注目しているのは、衣装の素材や織り方などもっと細かい部分のような感じで、その点ではブロクパ→モンパという影響関係が想定できるらしい。
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いずれにしても、1ページでは短すぎるし、写真や図もないので、まとまった論考を読まなきゃいかんなあ。
調べたら、脇田先生のこの辺の論考はこれだけある。
(01)脇田道子 (2014) インド,アルナーチャル・プラデーシュのモンパに見る民族表象と伝統の変化の動態. 慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要 社会学・心理学・教育学 人間と社会の探究, no.78, pp.166-168.
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN0006957X-00000078-0166.pdf?file_id=96052
(02) 脇田道子 (2013) インド北東部国境地帯のツーリズム アルナーチャル・プラデーシュ州の現状と課題. 慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要 社会学・心理学・教育学 人間と社会の探究, no.75, pp.119-148.
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN0006957X-00000075-0119.pdf?file_id=73924
(03) 脇田道子 (2012) ブータンの近代化と仏塔盗掘. アリーナ, no.14, pp.218-222.
(04) 脇田道子 (2012) 辺境開発とツーリズムに関する文化人類学的研究 インド・ブータン国境地帯の事例から. 慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要 社会学・心理学・教育学 人間と社会の探究, no.74, pp.109-112.
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN0006957X-00000074-0109.pdf?file_id=69234
(05) 脇田道子 (2011) 民族衣装のポリティクス インド、アルナーチャル・プラデーシュのモンパの事例から. 日本文化人類学会研究大会発表要旨集, vol.2011, p.50.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasca/2011/0/2011_0_50/_pdf
(06) 脇田道子 (2011) インド,アルナーチャル・プラデーシュのモンパに見る民族表象と伝統の変化の動態. 慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要 社会学・心理学・教育学 人間と社会の探究, no.72, pp.160-162.
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN0006957X-00000072-0160.pdf?file_id=69172
(07) 脇田道子 (2010) 民族の表象と伝統の変化の動態 インド,アルナーチャル・プラデーシュのモンパを中心に. 慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要, no.70, pp.168-171.
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN0006957X-00000070-0168.pdf?file_id=69088
(08) 脇田道子 (2010) ブータン東部におけるツーリズム導入に関する一考察 メラとサクテンの事例から. 慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要, no.70, pp.31-53.
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN0006957X-00000070-0031.pdf?file_id=69058
(09) 脇田道子 (2009) 表象としての民族衣装 インド,アルナーチャル・プラデーシュのモンパの事例から. 慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要, no.68, pp.35-58.
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN0006957X-00000068-0035.pdf?file_id=40135
(10) 脇田道子 (2007) インドとの国境山岳地帯、東ブータン・メラ、サクテンの遊牧民. インド考古研究, no.28, pp.117-124.
(11) 脇田道子 (2004) アルナーチャル・プラデーシュのモンパとその服飾. インド考古研究, no.25, pp.139-142.
民族衣装について、一番まとまってるのは(09)のようだな。よし。どれもさっき見つけたばかりなので、ちゃんと読んだら、また続報を。
2016年6月5日日曜日 「ブータン展」を見てきました に、ブロクパの衣装シンカについての追記を入れました。
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