2017年2月19日日曜日

ギャロン・ドブルの上九節

もうひとつ珍しい場所のニュースが引っかかってきました。

・新華網 > 江宏景・撮影/四川宝興 藏族群衆歓度“上九節” 2017年02月05日 16:01:58
http://news.xinhuanet.com/photo/2017-02/05/c_1120413223.htm

宝興県は、四川省成都市の西南西約100km、雅安市の北約50km。青衣江流域の県。


Google Mapより

ここはかつて、ギャロン རྒྱལ་(མོ་)རོང་ rgyal (mo) rong 十八王国(嘉絨十八土司)の一つ、ドブル མདོ་འབུལ་ mdo 'bul(穆坪/木坪)王国があった場所。ギャロン十八王国の中では、最も漢族居住地に近いところにあります。チベット文化圏の最前線です。

------------------------------------------

1373年、丹紫江楚(タシ・ギャムツォ བཀྲ་ཤིས་རྒྱ་མཚོ་ bkra shis rgya mtsho)が創建間もない明朝に帰順。宣慰使司・董卜韓胡(stong dponナントカか?)の称号を得て、現・宝興県内を領地とした。

ドブル王家は、元代にはガクスル འགག་ཟུར་ 'gag zur(瓦寺=現・臥龍)にいて、そこでも韓胡董卜を称していたという。15世紀になるとガクスルにも王家が誕生。

ガクスル王家はキュンポ ཁྱུང་པོ་ khyung po氏なので、ドブル王家もキュンポ氏かもしれない。それは後で紹介する「上九節」の祭りからも推察可能。

「韓胡」についても、「khyung po」かも?とも思っている。

------------------------------------------

また、ドブル二代目王・喃噶(ナムカー ནམ་མཁའ་ nam mkha'?)、三代目王・克羅俄堅(クラ・ウギェン སྐུ་ལྷ་ཨོ་རྒྱན་ sku lha o rgyan?)、七代目王・喃呆(ノルブー ནོར་བུ་ nor bu?)は、同時代のトスキャブ ཁྲོ་སྐྱབས་ khro skyabs(綽斯甲)王名とよく似ている(注)。この時代はトスキャブ王がドブル王を兼任していたのかもしれない。ドブル王家は、このトスキャブ王家の分家にあたる可能性、婚姻関係にあった可能性も考慮する必要がありそう。

ギャロン諸王家の系譜や、王家同士の関係は、まだまだわからないことが多いので、今後の研究でドブル王家の素性がはっきりするかもしれない。

(注)

トスキャブは、ギャロンの中心部バルカム འབར་ཁམས་ 'bar khams 馬爾康の西約40km。

トスキャブ王
22代目 南木喀斯増(南木喀斯丹増) ནམ་མཁའ་བསྟེན་ (ནམ་མཁའ་བསྟན་འཛིན་) nam mkha' bsten (nam mkha' bstan 'dzin)
23代目 葛拉些日加爾 སྐུ་ལྷ་ཤེས་རབ་རྒྱལ་ sku lha shes rab rgyal
25代目 納武日加爾 ནོར་(བུ་)རྒྱལ་ nor (bu) rgyal

トスキャブ王家は、ギャロン諸王家の大半を占めるダ སྦྲ་ sbra氏一族の総本家に当たる。トスキャブ王家の系譜はよく残っていて、10世紀くらいまで遡れそうだが、唐代の東女国(諸国)とどう結びつくかはわかっていない。

sbra(ng)というのは、suvarna(gotra) सुवर्ण(गोत्र)(金(族))がチベット語化したものと考えられており、かつてチベット西部にいた女国=蘇跋那具怛羅の氏族が東遷したもの。女国東遷については、『安多政教史』などに書かれているので史実とみてよい。

なお唐代の、チベット西部の女国(東女国と呼ばれることもある)、ギャロンの東女国については、その名称がまぎらわしいので、私は「チベット西部の女国」=「上手女国」、「ギャロンの東女国」=「下手女国」と呼ぶようにしています。

この用語が広まるといいんだけど・・・。

ギャロン十八王国の分布



------------------------------------------

18世紀の金川之役では、ドブル王国は清朝の側について、ギャロン諸王国を説得する側に回った。このため滅亡を免れた。

この頃は、ダルツェンド དར་རྩེ་མདོ་ dar rtse mdo(打箭炉/康定)のチャクラ ལྕགས་ལ་ lcags la王家(明正土司)と婚姻関係を結び、深い関係となっていた。なお、チャクラ王家は、ダ氏でもキュンポ氏でもなく、ミニャク མི་ཉག mi nyag(タングート)系氏族。

18世紀初、チャクラ王家からドブル王家に嫁いだ桑結 སེང་གེ seng ge センゲは、夫・雍中七立(雍中七力) གཡུང་དྲུང་འཕྲིན་ལས་ g-yung drung 'phrin las ユンドゥン・ティンレー[位:1710]の死後、ドブル女王となる[位:1710-25]。

チャクラ女王であった母(?)・工喀 ཀུན་དགའ་ kun dga' クンガー[位:1701-17]が死去すると、桑結はチャクラ女王も兼任[位:1717-25]。桑結の子・堅参達結 རྒྱལ་མཚན་རྡོ་རྗེ་ rgyal mtshan rdo rje ギャルツェン・ドルジェ[位:17125-33]もチャクラ王・ドブル王を兼任した。

ギャロン諸王国間では、このような婚姻関係が盛んに結ばれており、はっきり書かれているわけではないが、複数の国王を兼任している人物がかなりいると思われます。

------------------------------------------

清朝滅亡後もドブル王国は存続してきたが、「改土帰流」の流れには逆らえず、1928年に王制は廃止。宝興県が設置された。

中心地は宝興鎮だが、ここは漢族圏に近いため、古くから漢化が著しかった。TV番組などで見る限り、チベット色は薄い場所のよう。

奥地にある磽磧蔵族郷(བོད་གྲོང་ bod grong)にはまだまだチベット文化が色濃く残っています。上記の祭りの記事は、この磽磧蔵族郷が舞台。やっと記事の話まで戻ってきた。

------------------------------------------

「上九節」はチベットの旧正月ロサル ལོ་གསར་ lo gsar中国の旧正月・春節(を採用している(追記参照))から九日目を祝う祭り。豊作祈願の要素が強いようだ。ドブルに特有の祭りらしいが(追記参照)、由来や式次第については

・中文百科在線 網路百科新概念 > 上九節( 最新編輯:hcl112233 (2011/10/8 14:48:52))
http://www.zwbk.org/zh-tw/Lemma_Show/218532.aspx

が詳しい。

これによると、「正月九日目に、上天より派遣された神鳥(嘉窮)=キュン ཁྱུང་ khyung=Garudaが、人々を苦しめていた大蛇を退治したことを祝う祭り」だという。やはり、ダ氏/キュンポ氏(セ བསེ་ bse部族)が持つキュン神話が出てきました。キュンはセ部族のトーテムであり、彼らはキュンの子孫と称しているのです。

しかし、神話はさておき、ロサル九日目というのがどっから来た風習なのかは、今ひとつわからない。

------------------------------------------

式次第を見てみると「天鵝孵蛋」という催し物もある。どうもガルーダが卵を産み、そこから諸族が生まれていった、という起源神話らしいが、催し物を見ると、あまりその色彩はないですね。

広場の中央に高く積んだ、足場と丸太の柱の上での曲芸が主になっているよう。ひと通り見ても、ガルーダらしき姿がない。オリジナルからはだいぶ変形しているような気がした。

祭りの写真ではやたらと竜が出てくる。これは悪役であったはずの大蛇が、いつの間にか竜に変わってしまったのだろう。そして、あたかも竜が主役のように幅を利かせ、ガルーダはその姿すら見えない。

かなり、漢族の祭りの影響が強くなっているように見受けられました。

------------------------------------------

この祭りが開かれている磽磧蔵族郷をGoogle Mapで見ると、なんとその中心部には巨大なダムが出来て水没しているではありませんか!びっくり。

幸いその周辺部の山腹に集落がたくさんあるので、住民はそちらに移住しているのだろうけど、中国の変わり様はとにかく早い。

------------------------------------------

ギャロンは四川省にあり、カムにほど近いが、アムド文化圏なのです。記事の写真を見ても、毛皮の帽子などはアムドっぽい。ドブルがギャロン十八王国の一つであることが実感できますね。

------------------------------------------

この地域はかつて日本のTV番組でも紹介されたことがあります。

・地球に好奇心 パンダ 野生の謎に迫る 中国原始の森で何が? 2002-05-04 NHK-BS2
制作:博宣インターナショナル
四川省宝興県(旧・ドブル王国=穆坪土司領内)パンダ保護研究所の保護活動と、奥地の磽磧蔵族郷で野生パンダを追う。レッサーパンダの映像も。75min.。

自然の紹介が中心で、チベット文化については少しだけ。すごく地味な番組でしたが、レッサーパンダは面白かった。

------------------------------------------

一般にはチベット文化圏としては知られておらず、ガイドブックなどでも取り上げられたことがない地域だが、なかなかおもしろそうな場所ですね。

成都からも近く、山越えもないので、これから観光地として急速に発展していくかもしれない。私も一度行きたいなあ。ギャロン方面は一度も行ったことがない。

------------------------------------------

文献 :

・智観巴・貢却乎丹巴繞吉・著, 呉均+毛継祖+馬世林・訳 (1989.4) 『安多政教史』. 742pp. 甘粛民族出版社, 蘭州.
・青海省社会科学院藏学研究所・編, 陳慶英・主編 (1991.6) 『中国藏族部落』. 14+5+651pp.
・雀丹 (1995.12) 『嘉絨藏族史志』. 3+806pp. 民族出版社, 北京.

===========================================

(追記)@2017/02/27

今気づいたのだが、上九節が行われるのは、「ロサルから九日目」ではなく、「春節から九日目」でした。

・松岡正子+高山茂 (1994.10) ギャロン・チベット族の年中行事と芸能. 比較民俗研究, no.10, pp.102-132.
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=4470&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1

を見ると、ギャロンの特に漢族居住地に近い地域では、ロサルではなく春節を祝うところがあるらしい。それよりも、ギャロンの正月11月を祝う地域が多いらしい。かなり複雑ですね。

この論文では、もう一つ面白い記事を見つけた。上述のドブルの上九節と同じ祭りが、大金県(チュチェン/促侵/ラブテン)にもあるらしい。名称は「上九会」。チュチェン王家もキュンポ氏である。

0 件のコメント:

コメントを投稿