2017年2月15日水曜日

雲南のモンゴル人+四川のモンゴル人

Himalayaの西はずれBaltistanから一転して、今度は東はずれ雲南です。

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私はGoogle Newsをカスタマイズして、チベット各地やヒマラヤ周辺、そしてモンゴルのニュースを表示できるようにしています。

カム・アムド方面はなかなか設定が難しくて、「四川|青海|甘粛|云南 藏族|蒙古|裕固|羌」という検索キーワードでなんとかニュースを表示させています。

チベット人だけではなくて、デード・モンゴル(青海モンゴル)のニュースも知りたいと思って「蒙古」というキーワードを入れているのですが、先日、意外にも雲南省のモンゴル人(雲南蒙古族)が引っかかってきました。初めてです。これは珍しい。

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・捜狐 > 旅游 > 肖育文/云南蒙古人,在紅土高原上繁衍生息了7百多年 2017-02-10 02:38
http://mt.sohu.com/travel/d20170210/125887707_154718.shtml

昆明市の南約70km、玉渓市通海県興蒙蒙古族郷。ここには約5000人の蒙古族(喀卓(ka zhuo)人)が住んでいます。雲南省在住の蒙古族の約半数がここにいます。

場所はこちら↓

















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見たところ、モンゴルの習俗は男性の民族衣装に色濃く残っているが、もしかするとこれは最近の復興かもしれない。女性の民族衣装などは、モンゴルというよりは雲南の少数民族との共通点が多く、一見しただけではモンゴルとは思えない。

言語はちゃんとモンゴル語。しかしモンゴル本土から孤立して700年。かなり独特なモンゴル語に進化しているらしい。

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はるか700年前、モンケの時代に雲南・大理王国を占領したモンゴル帝国は、フビライの代にはその子フゲチ(忽哥赤)を雲南王として置いた。

現在の通海県にもモンゴル駐屯軍が配され、現在の通海蒙古族はその子孫である。

雲南は、元代を通じてフビライの孫カマラ(チンキムの子)の系譜が梁王として雲南全域を治め、フゲチの子孫が雲南王として大理周辺を所領としていた。

1368年、大ハーン・トゴン・テムル(順帝)が大都を捨て北帰すると、多くのモンゴル人がそれに従った。しかし漢土に残ったモンゴル人もいた。

漢土に残ったモンゴル王侯の中には、明朝に抵抗していた勢力もいた。雲南の梁王(フゲチの子孫は代々雲南王だが、最後だけ梁王)把匝刺瓦児蜜(バツァラ・ワルミ)はその一人。しかしその梁王も1381年に明に投降。これでモンゴルによる雲南支配は終わった。

通海蒙古族もこの地に居残り、杞麗湖で漁業を営んできた。漁業とモンゴル人とはなんというミスマッチ。

その後、杞麗湖は干拓されて半分くらいの面積になってしまった。興蒙蒙古族郷も湖畔からかなり離れてしまったため、産業は今は農業と建築業が中心。

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実は私は雲南省には1回しか行ったことがなく、この興蒙蒙古族郷のことも知ってはいたのだが、そこまで手は回らなかった。いつか行ってみたいもんです。

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実は、興蒙蒙古族郷の他にも、四川省~雲南省には、このような元代モンゴル人の末裔があちこちにいます。

その中の一つが四川省・凉山彝族自治州・木里藏族自治県・屋脚蒙古族郷(瀘沽湖の北約20km)。ここには約750人のモンゴル人が住んでいます。

こちらは、

・テレビ東京+PROTX (1993.7) 日本人の源流 ヒマラヤ最東端 秘境に生きる女たち ムーリ高地. テレビ東京.

の一部で、その映像が紹介されたことがありますね。

モンゴル人らしさもところどころに残っていましたが、こちらも周辺民族、特に彝族からの影響が強く、民族衣装ではすぐには見分けがつきません。

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四川省には、この元代モンゴルの末裔の他に、清代の17世紀に満州兵と共に駐屯したモンゴル兵の子孫もいます。成都市が中心。人口約1000人。しかしこちらは、満族と共に早くから漢族に同化してしまい、あまり目立つ存在ではないようです。

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しかし、ロシアのKalmuyk(+テュルク化したTatar諸民族)、AfghanistanのMoghol、(ペルシア系言語話者になっているが)Hazara、それに雲南・四川の蒙古族と、モンゴルの広がりは本当にすごいですね。もちろん、チベット在住のモンゴル人(+チベット化したモンゴル末裔)も。

ブフ(モンゴル相撲)の世界大会には、ぜひこれらのモンゴル人たちも呼んで、本当の「世界大会」にしてほしい。

まあ、大モンゴルの結束を心底警戒している、中国やロシアに邪魔されるとは思うんだけど・・・。

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文献:

・四川省民族研究所 (1982.8) 蒙古族. 四川民族研究所・編 『四川少数民族』所収. pp.98-101. 四川民族出版社, 成都.
・木村肥佐生+鯉淵信一 (1984.11) 中国・雲南蒙古族研究ノート. アジア研究所紀要, no.11, pp.77-112.
・鄧啓耀 (1990.4) 蒙古[モンゴル]族. 中国雲南人民出版社・編,宋恩常・主編 『雲南の少数民族』所収. pp.196-203. 日本放送出版協会, 東京.
・鎌澤久也・文+写真, 楊海英・文 (1993秋) フビライの末裔たち. 季刊民族学, vol.17, no.4, pp.30-43.
・松沢哲郎+成瀬哲生+池上 哲司+辻本雅史 (1994.12) 少数民族のアイデンティティー 中国雲南省の蒙古族の調査から. ヒマラヤ学誌, no.5, pp.159-168.
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/185906/1/himaraya_05_159.pdf
・成瀬哲生 (1996.5) 雲南モンゴル族の村・興蒙雑考. ヒマラヤ学誌, no.6, pp.67-72.
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/185924/1/himaraya_06_67.pdf
・ユ ヒョヂョン (2002) 「飛び地の捨て子」か「新モンゴル人」か 中国雲南のモンゴル族. 東西南北-和光大学総合文化研究所年報, 2002, pp.109-117.

他にも、単行本の一部に含まれているかもしれないが、今は調べきれない。

Web上のもの

・中国国家地理網/中華遺産 > 民族與宗教 > 肖育文/変遷与固守中的雲南蒙古人(中華遺産 2009年第11期)
http://www.dili360.com/ch/article/p5350c3d9e964270.htm
・錦達/錦達的博客 > 到雲南走訪当地的蒙古族同胞 (2013-09-06 13:13:23)
http://blog.sina.com.cn/s/blog_53e218e00101cqfh.html
・豆辯 > 満族心 > 歴史 > 張利/成都市満族蒙古族歴史文化変遷(2014-02-03 16:12:15)
https://site.douban.com/125457/widget/notes/4971340/note/329166151/
・雲南省人民政府 > 旅游雲南 > 雲南少数民族 > 蒙古族(as of 2017/02/15)
http://www.yn.gov.cn/yn_lyyn/yn_ssmz/201211/t20121129_8732.html

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