2017年1月12日木曜日

モンゴル帝国歴史小説とモンゴル史研究者 (2) 『耶律楚材』、『チンギス・ハーンの一族』

・陳舜臣 (1994.5) 『耶律楚材 上・下』. 集英社, 東京.
→ 再発: (1997.5) (集英社文庫). 集英社, 東京./(2000.9) (陳舜臣中国ライブラリー 19). 集英社, 東京.など

という小説があります。



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(集英社文庫版)

これは、モンゴル帝国第2代大ハーンであるオゴタイ時代に中書令を務めた契丹人・耶律楚材の生涯を描いた小説。

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ここでは陳先生は、耶律楚材を「死を覚悟して,モンゴルの野蛮から文明を守った名宰相」と高く評価しています。この小説の前にも、

・陳舜臣 (1990.11) 中国傑物伝 11 耶律楚材 死を覚悟して,モンゴルの野蛮から文明を守った名宰相. ウィル, vol.9, no.11, pp.148-154.
→ 収録: 陳舜臣 (1991.10) 『中国傑物伝』. 330pp. 中央公論社, 東京./(1994.9) (中公文庫). 381pp. 中央公論社, 東京./(2001.8) (陳舜臣中国ライブラリー 28). 553pp. 集英社, 集英社.

というエッセイを書いています。

「モンゴルの野蛮」とはまた、中国人に顕著な中華思想丸出しのタイトルですね。

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さあ、これに噛みついたのが杉山先生でした。

中国や欧米におけるモンゴル史研究は、漢籍史料や欧語史料に頼りがちでした。その結果、「世界を破壊し尽くしたチンギス・ハーン」「野蛮なモンゴル帝国」という否定的なイメージが世間にはびこります。

かつてモンゴル帝国の支配を受けたロシア(ソ連)や中国が、20世紀中に喧伝した否定的なイメージの影響も大きかった。モンゴル人民共和国においてさえ、ソ連の衛星国であったがために、チンギス・ハーンを極悪人として教育していたほど。

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杉山先生(だけではないのですが)は、これまであまり利用されてこなかったペルシア語史料を重要視して研究を進めます。特にフレグ・ウルスで編纂されたペルシア語モンゴル帝国史である

・Rashīd al-Dīn (1314) 『Jāmi' al-Tavārīkh(集史)』.

を最重要史料として研究を進めます。

その結果、それまでの悪いイメージを覆す史実を明らかにしていきました。最近では、

・杉山正明 (1992.6) 『大モンゴルの世界 陸と海の巨大帝国』(角川選書). 角川書店, 東京.
→ 再発: (2014.12) (改訂版)(角川ソフィア文庫). 角川書店, 東京.
・杉山正明 (1997.10) 『遊牧民から見た世界史 民族も国境もこえて』. 日本経済新聞社, 東京.
→ 再発: (2003.1) (日経ビジネス人文庫). 日本経済新聞社, 東京./(2011.7) (増補版)(日経ビジネス人文庫). 日本経済新聞社, 東京.
・杉山正明 (2000.12) 『世界史を変貌させたモンゴル 時代史のデッサン』(角川叢書). 角川書店, 東京.
・杉山正明 (2002.9) 『逆説のユーラシア史 モンゴルからのまなざし』. 日本経済新聞社, 東京.
→ 改題再発: (2006.3) 『モンゴルが世界を覆す』(日経ビジネス人文庫). 日本経済新聞社, 東京.

といったモンゴル帝国を肯定的に捉える一般書を続々と書かれている通り。

余談ですが、杉山先生はその方面でも、モンゴル史研究者の岡田英弘先生+宮脇淳子先生との間で軋轢を生んでいるのは、知ってる人は知っているが、ここでは触れる余裕なし。

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その方面での杉山先生の論調は、歴史研究を越えて、なんだかプロパガンダ的な色も感じさせるので、そのすべてに諸手を上げて賛成する気にもならないのですが・・・。

でも、歴史研究では史料が違えばまた別の姿が見えてくるのはよくある話です。利用可能なすべての史料を突き合わせて、徐々に真の姿に近づけていこうとするアプローチは間違いなく正しい。

特に東洋史では、いまだに漢籍史料絶対主義に陥っているケースが多々見られる(チベット史研究でもいまだに多い)ので、他言語史料も重要視するべきなのは、これからも変わらないでしょう。

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それで、耶律楚材に関しては、

・杉山正明 (1996.7) 『耶律楚材とその時代』(中国歴史人物選 8). 372pp. 白帝社, 東京.

という著作を発表。














耶律楚材の名は、ラシード・アッディーンの『集史』をはじめ、ペルシア語の歴史書には、まったく見えない。
(同書 p.6)

現実において、耶律楚材は、全モンゴル規模にわたる「行政官」でも「立案者」でも、ありえなかった。その資格・能力がなかった。まして、全モンゴルを指揮する「宰相」などでは、ありうべくもなかった。
(同書 p.23)

結論を先取りするかたちになるが、楚材は、チンギス・カン時代、ぜんぜん重視されなかった。むしろ、不平と失意の日々であった。第二代のオゴデイ・カアンの時代になって、少しは改善されたものの、あたえられた任務は、漢土を中心とする文化・教育面のごく一部と、河北・山東・山西における税収業務にかぎられた。それも、すぐに、あやうくなった。かれは、いわば、イメージ先行型の人間であった。

これまでよく語られたように、モンゴル大カアンが、かれに全幅の信頼をおいて、なんでも相談したという場面など、現実には、あるはずもなかった。それは、後述するように、多分に漢文史料の創作である。楚材本人にとっては、夢物語だったろう。
(同書 p.24-25)

陳舜臣氏の『耶律楚材』上下(集英社)は、楚材をあらんかぎり巨大化、聖人化した歴史ファンタジーであった。小説は、ここまで現実から離れて、虚空のかなたに飛翔できるのか。やはり歴史と小説とは、ひどくちがう。率直にそう感じた。

しかし、責任は、氏にあるのではないだろう。これまで、学者・研究者といわれる人たちが楚材を誇大視したためである。陳氏は、その路線を限りなく押しすすめたにすぎない。
(同書 p.368)

と容赦ない。

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杉山先生が大々的に協力した

・NHK総合テレビ(1992.4-.8) NHKスペシャル 大モンゴル 1~5

では、耶律楚材はほとんど登場しませんでした。杉山先生の意見がだいぶ反映されていたようです。

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この辺はすでに陳先生の耳にも入っていたようで、『耶律楚材 下』のあとがきで、

なかには、彼はそれほど重要な人物ではなかったと推測する人もいる。
『耶律楚材 下』(集英社文庫版) p.319

と書いています。

杉山先生の耶律楚材本が出た1996年には、陳舜臣「チンギス・ハーンの一族」の連載がすでに始まっていました(1995年4月~)。

こちらにも当然耶律楚材は登場し、「宰相役の中書令」などと表記されていますが、その登場場面はだいぶ少なくなっています。

中書令という職は、それ以前の時代には確かに宰相ですが、元代には全く別で、文書係のトップでしかなかったようです。従って、耶律楚材を「宰相」と表現するのは明らかに誇大、というのが杉山説。

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ここまでのお話を、著作の発表年月を基準に年表風にまとめるとこうなります。

1982.3 杉山正明 「クビライ政権の東方三王家 鄂州の役前後再論」(東方学報・京都)

1990.11 陳舜臣 連載「中国傑物伝 11 耶律楚材 死を覚悟して,モンゴルの野蛮から文明を守った名宰相」(ウィル)
1991.10 陳舜臣 『中国傑物伝』(中央公論社)

1992.4-.8 「NHKスペシャル 大モンゴル 1-5」(NHK総合テレビ)(杉山正明ほか協力)
1992.4-.8 NHK取材班・編 『大モンゴル 1-4』(角川書店)

1994.5 陳舜臣 『耶律楚材 上・下』(集英社)

1995.4 杉山正明 『クビライの挑戦 モンゴル海上帝国への道』(朝日選書)

1995.4-97.5 陳舜臣 連載「チンギス・ハーンの一族」(朝日新聞)

1996.5 杉山正明 『モンゴル帝国の興亡 上 軍事拡大の時代』(講談社現代新書)
1996.6 杉山正明 『モンゴル帝国の興亡 下 世界経営の時代』(講談社現代新書)
1996.7 杉山正明 『耶律楚材とその時代』(白帝社)

1997.5 陳舜臣 『チンギス・ハーンの一族 1 草原の覇者』(朝日新聞社)
1997.8 陳舜臣 『チンギス・ハーンの一族 2 中間を征く』(朝日新聞社)
1997.10 陳舜臣 『チンギス・ハーンの一族 3 滄海への道』(朝日新聞社)
1997.10 陳舜臣 『チンギス・ハーンの一族 4 斜陽万里』(朝日新聞社)

2004.2 杉山正明 『モンゴル帝国と大元ウルス』「第2章 モンゴル帝国の変容 クビライの脱権と大元ウルスの成立」(京都大学学術出版会)

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陳舜臣「チンギス・ハーンの一族」連載開始直後の1995年4月に、杉山先生の朝日選書『クビライの挑戦』、連載中盤の1996年5~6月に講談社現代新書『モンゴル帝国の興亡』が発表されています。

陳先生は、連載しながらこれら杉山先生の著作をだいぶ参考にしている形跡があります。前回紹介したフビライ即位時におけるタガチャルの行動を強調した展開が、その代表といえるでしょう。

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杉山先生は、陳舜臣「チンギス・ハーンの一族」については何もコメントしていません。耶律楚材の件からすると、何かコメントを発してもおかしくないのですが・・・。

陳先生が、小説でタガチャルの件を大きく取り上げたことについて、プラス方向にか、マイナス方向にかわかりませんが、何らかの感想を持ったはずですが、今のところコメントは発見できません。

私は、両者の間で手打ちがあったんではないか?と見ます。邪推かもしれませんが・・・。

間に立ったのは、可能性としては、『フビライの挑戦』、『チンギス・ハーンの一族』双方の版元である朝日新聞かな?などとも思っています。

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陳舜臣『チンギス・ハーンの一族』は、チンギス・ハーン~フビライまでのモンゴル帝国を描いた小説。

この分野では、チンギス・ハーンの生涯を描いて終わり、という小説がほとんどである中、フビライまでとはいえ元朝を描いているのが特徴です。

またモンゴル王家の女性たちが大きく取り上げられているのも珍しい。中盤は、モンゴル王家の女衆のお茶飲み話を軸にストーリーが展開される、というのもユニークな手法でした。

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連載前、あるいは連載中にモンゴル史関係の本がたくさん出版されたことは、陳先生にとってはよかったんではないでしょうか。

この小説はとにかく考証がしっかりしている。歴史好きには面白い小説だったと思います。

まあでも、陳先生の特徴ではあるのですが、この人は「戦さ」が描けない。ダイナミズムはあまりなく、淡々とストーリー/時間が進んでいく印象が強い。その点で小説としての評価は分かれることでしょう。

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2006年はチンギス・ハーン即位800周年でした。この前後には、またもやモンゴル帝国ブームがやって来ます。

例によってチンギス・ハーンを取り上げた小説・本がたくさん出たわけですが、今回大作に挑んだのは堺屋太一。

・堺屋太一 (2007.7-.12) 『チンギス・ハン 世界を創った男 1-4』. 日本経済新聞出版社, 東京.
← 初出 : (2006.2-07. 8) 日本経済新聞.
→ 再発 : (2011.8-.11) 『世界を創った男 チンギス・ハン 上・中・下』(日経ビジネス人文庫). 日本経済新聞出版社, 東京.

この小説には、最初からモンゴル史研究者が深く関わっていたのです。

ツヅク

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(追記)@2017/01/12

陳先生には、

・陳舜臣 (1979.2) 『小説 マルコ・ポーロ 中国冒険譚』. 252pp. 文藝春秋, 東京.
← 初出 : (1978.2-79.1) オール讀物, 1978年2月号-79年1月号.
→ 再発 : (1983.4) (文春文庫). 361pp. 文藝春秋, 東京./(2000.11) (陳舜臣中国ライブラリー 18) 集英社, 東京. など














カバー : 廣瀬郁/かもよしひさ
(文春文庫版)

という作品もあります。

『マルコ・ポーロ』、『耶律楚材』、『チンギス・ハーンの一族』を、私は勝手に「陳舜臣 元朝三部作」と呼んでいます。

マルコ・ポーロの物語と言っても、マルコ・ポーロについては自身の口述とされる『Devisement du monde(世界の記述/東方見聞録)』以外に史料はないわけで、その分大胆にフィクションで色付けすることができた作品です。

推理・活劇ものの要素が強く、後期の硬直した歴史小説よりは小説として格段に面白い。のびのび書けてる、と思う。

陳作品としてはあまり注目されたことがないが、こちらも一度読んでみてください。

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