2009年7月21日火曜日

「ブルシャスキーって何語?」の巻(9) ニンマパ経典のブルシャ語タイトル

この経典は「ブルシャ文字(bru zha'i yi ge)」で書かれていたといいますから、ブルシャに文字はあったはずです。インド由来のカローシュティー文字、ブラーフミー文字、グプタ文字などが存在したことは碑文や発掘経典で知られています。

しかしわざわざ「ブルシャ文字」と書くのですから、それとは別の文字があったという可能性が高そうです。もしかすると、それが「チベット文字ドゥツァ体」もしくはその原型ではなかったのだろうか?というのが私の仮説です。

『一切仏集密意経』はブルツァ体、もしくはその原型で記されており、その文字がチベット語に翻訳された経典と共に(あるいはブルシャ語経典も)チベットに伝わったのかもしれません。しかし、そういう記録が残っていないので謎のままです。

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「ブルシャ文字」で記されていたこの経典、大もとの言語はサンスクリット語だったといいます。それを前述の三人の訳経師(lo tsa ba)がブルシャ語に翻訳した上で、さらにチベット語に翻訳したようです。「ブルシャ文字(bru sha'i yi ge)」には、「ブルシャ語」という意味も込められていると思われます。

残念ながらこの経典のブルシャ語版は伝わっていません。しかし、そのブルシャ語タイトルのみは現在まで伝わっているのです。

この経典の冒頭には、チベット語タイトルに加え、サンスクリット語タイトル(サンスクリット文字表記をチベット文字で転写したもの)、そしてブルシャ語タイトル(ブルシャ文字表記をチベット文字で転写したもの)の三つが付されています。

チベット語タイトルは前回挙げたので省略します。

(1)サンスクリット語タイトル

rgya gar skad du(インド語では)
sa rba ta tha' ga ta tsi ta ta dznya' na gu hya a rtha ga rbha byu' ha ba dzra tan tra sid dhi yo ga a' ga ma sa ma' dza sa rba bi dya' su tra ma ha' ya' na a bhi sa ma ya dha rma' pa rya ya bi byu' ha na ma su' traM

これをよりわかりやすくサンスクリット文字アルファベット転写に準じた方式で表すとこうなります。

Sarva tathāgata cittajñāna guhyārtha garbha vyūha vajra tantra siddhi yogāgama samāja sarvavidyāsūtra mahāyānābhisamaya dharma paryāya vivyūha nāma sūtram

(2)ブルシャ語タイトル

問題のブルシャ語タイトルですが、五資料を当たってみたところ、なんと全部つづりが違います(笑)。困ったもんです。

全部あげておきますが、相違点を赤字青字で示しました。赤字は少数派、青字が多数派です。かといって「青字が正しく、赤字は誤り」と考えているわけではありません。目安としてあげただけです。

bru zha'i skad du(ブルシャ語では)
<1>大谷大学説-『北京版大蔵経』より
hon ban ril til bi bu bi til ti ta sing 'un 'ub had bad ril 'ub bi su bad ri zhe hal ba'i ma kyad ku'i dang rod ti
<2>東北大学説-『デルゲ版大蔵経』より
hon pan ril til pi bu pi til ti ta sid 'un 'ub hang pad ril 'ub bi su bad ri zhe hal pa'i ma kyang ku'i dang rong ti
<3>Poucha説-『デルゲ版大蔵経』より
ho na pan ril til pi bu pi til ti ta sid 'un 'ub hang pang ril 'ub bi su bad ri zhe hal pa'i ma kyang ku'i dang rong ti
<4>金子英一説-『古タントラ全集』より
hon pan rol til pipu pitila titasing, 'un 'ub, hang pang ril, 'ub pa'i su, bang ri zhe hal pa'i ma kyang ku'i, dang rod ti
<5>ケント大学説-『古タントラ全集』より
hon pan ril til / pi pu / pi ti la / ti ta sid / 'un 'ub / hang pang ril / 'ub pa'i su / bad ri / zhe hal pa'i / ma kyang ku'i / dang rod ti

出典は、
<1>大谷大学図書館・編(1939) 『大谷大学図書館蔵 西蔵大蔵経 甘殊爾勘同目録 I』. pp.177. 大谷大学図書館, 京都.
<2>東北帝国大学法文学部・編, (財)斎藤報恩会・補助 (1970) 『西蔵大蔵経総目録』. pp.2+701+124. 名著出版, 東京.
<3>Pavel Poucha (1960) Bruža - Burušaski ?. Central Asiatic Journal, vol.5, no.4[1960], pp.295-300.
<4>金子英一(1982) 『古タントラ全集解題目録』. pp.68+496+23. 国書刊行会, 東京.
<5>Tibetan Studies at the University of Kent at Canterbury > The Rig 'dzin Tshe dbang nor bu Edition of the rNying ma'i rgyud 'bum > Catalogue > Volume Da > Da.1
http://ngb.csac.anthropology.ac.uk/csac/NGB/da/1

筆者がチベット文字表記でこのタイトルを見ているのは、

・大谷大学・監修, 西蔵大蔵経研究会・編 (1956) 『影印北京版西蔵大蔵経 9 甘殊爾 秘密部 九』. pp.277. 東京学術社, 東京.

のみです。当然私自身の釈字は<1>に近いものになります。

『影印北京版』は縮刷版でもあるので、一般に印刷が不鮮明な箇所が多く、ツェグの判別が難しい、paとbaの区別がしにくい、ngaとdaの区別がしにくい(これはこの版に限ったことではないが)、などの欠点があります。よって<1>大谷大学説の他説との差異は主にそこに現れています。他の読みとの相違点が一番多いので、この釈字の信頼度は低い、とは考えています。

それにしても、同じ資料(版は違うかもしれないが)を見ているはずの<2>と<3>、<4>と<5>の間ですら釈字にこれだけ違いがあるのですから、出発点からして思いやられます。

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先に進む前に、すべての経本を比較してできるだけ正確なスペルをまず得るべきでしょうが、私にはそこまでできる能力がありません。なにしろ同じ『デルゲ版』同士や『古タントラ全集』同士ですら釈字が違うのですから、専門家にとってもかなりの難物のはずです。

チベット人にとってもブルシャ語は意味不明ですから、この無意味な字の連なりは写経や刻印の際にほとんど関心が払われることもなく、簡単に誤写・誤刻されたに違いありません。よって現行の各経本を比較したところで正しいスペルに到達できるような気もしません(注)。

なるべく最古の経本を探し出して、それに当たるしかいい方法はなさそうですが、それはとうてい私の手に余る仕事です。

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(注)
誤記・誤刻の箇所がチベット語であるならば、前後の文脈から類推して、正しいスペルに脳内で補正できる。例えば、文字列はどう見ても「ngad」であっても、前後の文脈から「dang」と補正する、など。

しかし未知の言語(ここではブルシャ語)が誤写・誤刻されてしまうと、どれが正しいスペルやら判断する基準がなく、お手上げとなる。

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