2017年9月23日土曜日

東京国立博物館 東洋館 「チベットの仏像と密教の世界」展

を見てきました。

・東京国立博物館 > 展示 > アジアギャラリー(東洋館) > 地下 > チベットの仏像と密教の世界 / 東洋館 12室   2017年9月5日(火) ~ 2017年10月15日(日)(as of 2017/09/22)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1875


同展パンフレット, p.1


同展パンフレット, pp.2-3


同展パンフレット, p.4

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展示会場は、東博入り口から右手にある東洋館。その地下。ここは東南アジアとインドの文物が展示されている場所です。

チベット仏教はご存知の通り、インド仏教の正統な後継者ですから、場所はここでいいでしょう。

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展示されていたのは、ほとんどが清代の18~19世紀に北京で作られた金銅像でした。その数15体。壁側一列に収まるささやかな展示です。

古いものは、No.1菩薩像(15~16世紀)、No.7 チャクラサンヴァラ父母仏立像(15~16世紀)くらい。しかしこちらも古い特徴があまり見れらないので、もうちょっと後の時代のような気がします。15~16世紀の仏像・仏画だと、波状の目になっていることが多いのですが、その特徴はない。

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北京産が多いので、チベットで見る仏像とは微妙に雰囲気が違っています。北京ものを見慣れていない私にとっては逆に面白い。

2016年12月~2017年1月に早稲田大学 會津八一記念博物館で開催された「チベット仏教の美術」展とも似た感じ。

2017年1月15日日曜日 早稲田大学 會津八一記念博物館 「チベット仏教の美術」展

しかし、どれもチベット仏教図像から逸脱したものは一つもないので、チベット仏教図像学の勉強にも最適です。非常に近くで見れるし。

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気になったものをいくつか。

No.1 菩薩座像(パンフレットp.1アップ)

何の菩薩か不明となっているが、おそらくチャンバ བྱམས་པ་ byams pa  弥勒菩薩でよさそうだ。特徴は少し不足しているが。

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No.7 ヴァジュラバイラヴァ父母仏立像(パンフレット p.2上右)

こういう細身のドルジェ・ジッチェ རྡོ་རྗེ་འཇིགས་བྱེད་ rdo rje 'jigs byed वज्र भैरव  Vajrabhairava/यमान्तक Yamataka 大威徳明王は珍しい。

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No.9 十方天像(パンフレットp.2下右)

十方天の像がずらりと並ぶのは珍しいね。

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No.11 釈迦如来立像(栴檀瑞像)(パンフレットp.4上左)

これだけが木像で漆塗りだ。チベットよりもインド~中央アジア風。特に衣の襞。腰のくびれなんかもそうですね。

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No.12 ツォンカパ坐像(パンフレットp.4上右)

これはまた、ずいぶん縮こまった、かわいいツォンカパだ。元は黄帽をかぶっていたと思われる。

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No.13 名月母坐像
No.14 除蓋障菩薩坐像
No.15 巴[ロ寽]沙雑扎天像
(パンフレットp.4下)

いずれも単独で像が作られるのは珍しい尊格。除蓋障菩薩は八大菩薩の一尊格だが、他の二尊格は調べないと、どういう尊格かわからないです

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とまあ、小規模ながらも結構面白い展示なので是非どうぞ。

常設展の料金(一般620(520)円、大学生410(310)円(注)( )内は20名以上の団体料金)だけで観覧できます。

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常設展もひと通り見ました。

しかし、常設展はどこの美術館・博物館でも同じなのですが、いろんなテーマに次々移っていくので、頭が追いついていかない。一つ一つはみな素晴らしいものなのはわかっているが・・・・。

2017年9月17日日曜日

ラスワ~キーロン・ルート開通

2015年4月のネパール大地震で、ネパールは大きな被害を蒙りました。

この地震による道路崩壊、土砂崩れなどで、ネパール~チベットの陸路ルート(कोदारी Kodari~འགྲམ་ 'gram ダム(障木 ザンムー))間も大きな被害に遭い通行不能となった。2017年9月現在もまだ通行止め。

こうなると、ネパール・チベット双方にとって、観光だけではなく交易にも悪影響が長引いているわけで、同ルートの復旧はもとより、代替ルートの開発も並行して行われてきました。

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それが一応開通までこぎつけたようです。

・The Guardian > travel > Will Coldwell/Nepal-Tibet border reopens to tourists after 2015 earthquake(Saturday 16 September 2017 11.00 BST)
https://www.theguardian.com/travel/2017/sep/16/tibet-nepal-border-road-reopens-after-earthquake-kathmandu-lhasa

Kerung-Kathmandu Highwayという名称。

Kathmanduから西に向かい、Trishuli Gadi त्रिशूली नदी 流域に入ります。Rasuwa郡 रसुवा जिल्लाに入りさらに北上。地震時に壊滅的な被害を受けたLangtang谷への分岐を過ぎると、国境の村 Rasuwa Ghadhi रसुवा गदी。Kathmanduから約130km。

ここから国境を越えてチベットに入ります。Trishuli Gadiが名を変えたキーロン・ツァンポ སྐྱིད་གྲོང་གཙང་པོ་ skyid grong gtsang po 吉隆藏布沿いに約20kmで吉隆県の県都キーロン སྐྱིད་གྲོང་ skyid grong 吉隆。Kerungと表記されているのは、このキーロンのことです。


Google Mapを一部改変

参考:

・ROYAL MOUNTAIN TRAVEL –NEPAL > blog > View Archive Here > May 2016 > First hand experience from Kerung – Kathmandu Highway.(Posted on May 30, 2016)
http://royalmt.com.np/blog/first-hand-experience-from-kerung-kathmandu-highway/

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公式には外国人旅行者にも開放されたことになっているようだが、今のところ開通しているのは、未舗装1車線の狭い道路だけなので、すぐに外国人旅行客が続々と行ける状況ではなさそう。ネパール側の道路状況もまだ悪いし。

キーロンはグンタン王国の王都だった場所だし、吐蕃時代から名が知れた場所なので、是非一度行ってみたい。

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しかし、この道路は中国の援助によって建設されたもの。当然、いざという時には軍用道路として使うつもりだ。

中国のネパールへの経済援助攻勢は、なかなかはげしい。このルート建設の意義についても、色々考えさせられます。

参考:

・谷川昌幸/ネパール評論 Nepal Review > ラサ-カトマンズ,道路も鉄道も(2014/08/11)
https://nepalreview.wordpress.com/2014/08/11/a-797/

2017年9月16日土曜日

ボン教管長メンリ・ティジン・リンポチェ遷化

ボン教を統率しておられるメンリ・ティジン・リンポチェが2017年9月14日に亡くなられました。享年87歳。

・西藏之声 > 文本存档 > 2017 年 九月 > 流亡藏人社区悼西藏雍仲本教領袖曼日赤增仁波切圓寂(九月 15, 2017)
http://www.vot.org/cn/%E6%B5%81%E4%BA%A1%E8%97%8F%E4%BA%BA%E7%A4%BE%E5%8C%BA%E6%82%BC%E8%A5%BF%E8%97%8F%E9%9B%8D%E4%BB%B2%E6%9C%AC%E6%95%99%E9%A2%86%E8%A2%96%E6%9B%BC%E6%97%A5%E8%B5%A4%E5%A2%9E%E4%BB%81%E6%B3%A2%E5%88%87/

謹んでご冥福をお祈りいたします。

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例によってHiamchalガイドブック草稿から、メンリ・ティジン・リンポチェについて。

メンリ・ティジン・ルントク・テンペイ・ニマ・リンポチェ སྨན་རི་ཁྲི་འཛིན་ལུང་རྟོགས་བསྟན་པའི་ཉི་མ་རིན་པོ་ཆེ། sman ri khri 'dzin lung rtogs bstan pa'i nyi ma rin po che/ (1929-2017)

第33代メンリ寺座主であり、ボン教全体を統括する管長でもある。法名サンギェ・テンジン སངས་རྒྱས་བསྟན་འཛིན་ sangs rgyas bstan 'dzin。

1929年、アムド南部ンガワ རྔ་བ་ rnga ba(現・四川省阿壩蔵族羌族自治州)東部のキャンツァン རྐྱང་ཚང་ rkyang tshang(松播県山巴 བསམ་པ་ bsam paの近郊)に生まれる。このあたりにはボン教徒、ボン教僧院が多く、古来ボン教の東の中心であった。

8歳で出家しボン教僧院キャンツァン・ゴンパで学ぶ。27歳でゲシェ(博士)号を獲得。キャンツァン寺の座主となったが間もなくその座を辞しメンリ寺、ユンドゥンリン寺に移った。

1959年、チベットが中国共産党に完全に制圧されると、サンギェ・テンジン師は他のボン教高僧らと共に、ネパールを経てインドに亡命した。

亡命後は、インドやネパールに残るボン教経典の収集に努めていたが、その途中でイギリス人チベット学者David Snellgroveと出会い、ロボン・テンジン・ナムダク・リンポチェ སློབ་དཔོན་བསྟན་འཛིན་རྣམ་དག་རིན་པོ་ཆེ་ slob dpon bstan 'dzin rnam dag rin po che、サムテン・カルメイ བསམ་གཏན་མཁར་རྨེའུ་ bsam gtan mkhar rme'u師と共にロンドン大学に招かれ、1962~64年はここで研究生活を送る。

1964~66年はダライ・ラマ法王の要請に応じインドに帰国し、Mussourieのチベット人学校長となる。さらに1967~69年にはオスロ大学に助教授として招かれた。

1969年、再建が始まったHimachal Pradesh州Solan県Dolanjのタシ・メンリリン・ゴンパ བཀྲ་ཤིས་སྨན་རི་གླིང་དགོན་པ་ bkra shis sman ri gling dgon paの第33代座主(メンリ・ティジン སྨན་རི་ཁྲི་འཛིན་ sman ri khri 'dzin)として迎えられ、インドへ帰国。その後は同寺の拡充に努め、僧の育成も進んだ。

欧米人学者と共にボン教研究にも尽力。ボン教に関する知見は一般にも広まり、怪しげな魔術的宗教と誤解されてきたボン教に対する理解も深まるようになった。

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(追記)@2017/09/16

英文の記事も出ているので、そちらも補足。

・Phayul.com > News > 15 September 2017 > Tenzin Monlam/Head of Bon Tradition 33rd Menri Trizin passes away (Friday, September 15, 2017 20:25)
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=39541&article=Head+of+Bon+Tradition+33rd+Menri+Trizin+passes+away&t=1&c=1