2017年6月18日日曜日

映画「ラサへの歩き方」 (2)巡礼団の11人+1

映画の巡礼団は11人。途中で赤ちゃんが生まれて12人。かなり登場人物が多く、関係がわかりにくいと思うので系図を作りました。



チベット文字の綴りでは、セパ、ムチュあたりはあんまり自信ない。

映画は基本フィクションなのだが、この巡礼団の家族関係は事実らしい。ややこしい。

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【ニマ家】

(1) ニマ ཉི་མ་ nyi ma

50歳位の男性。巡礼団のリーダーで、巡礼中はトラクターの運転を担当し、五体投地はしない。

(2) ヤンペル གཡང་འཕེལ་ g-yang 'phel

ニマの叔父。ニマ家に同居。妻はいない。

独身の叔父が同居、というと不自然に感じるかもしれないが、これはもしかすると一妻多夫制で、「亡くなった兄=ニマの父」と妻を共有していた可能性がある(ニマの母は先に亡くなっているよう)。

ニマの息子たちは、ツェワンと一妻多夫制を結んでいるので、ニマの父とヤンペルもそうだった可能性はありそう。

一妻多夫制では、法的には長男と結婚することになり、下の弟たちとの結婚は非公式。妻が産んだ子供は、兄弟のうちの誰の子かわからない場合も出てくるが、法的にはすべて長男の子とされる。

ヤンペルが、兄と一妻多夫制であったのであれば、ニマは実はヤンペルの子である可能性もある。映画を通じて描かれるニマのヤンペルへの心遣いには、以上のような血縁の秘密があったのかもしれない。

これは映画では、一切語られることも、匂わせることもない。私の想像にすぎないのだが、張監督が以上のような事情を聞かされて、ひっそりと裏テーマに組み入れた可能性はあるんじゃないかと見ている。もしそうなら、これはもう本当に深い映画だ。ま、深読みのしすぎかもしれないけど・・・。

なお、巡礼の最後にヤンペルが亡くなったのは「フィクション」でしょう。

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【ケルサン家】

(*) ンガワン・ケルサン ངག་དབང་སྐལ་བཟང་ ngag dbang skal bzang

ニマ家の隣家の主人。巡礼には参加しないが、長女ツェリンと婿セパの間に巡礼中赤ちゃんが生まれた時は、ロンメ རོང་མེ་ rong me 如美(注)まで奥さんと一緒に、孫の顔を見にやって来た(という設定)。なお、マルカムとロンメ間は43kmなので、車やバスですぐ。

それにしても、子供は娘だけ6人とはすごいね。これも事実らしい。

(注)
パンフレットには、「ゾゴン(左貢)県の病院で生まれた」という記述もあるが、ロンメ(パンフレットではルメー、おそらく如美をそのまま中国語読みしたもの)は芒康県内。

(*) ワンチュク དབང་ཕྱུག dbang phyug

ケルサンの父。冒頭で、牧畜中にヤンペルと話をしている。日頃の会話と台本がうまい具合に融合した、いい場面だった。

(*) ラマ・トゥプテン བླ་མ་ཐུབ་བསྟན་ bla ma thub bstan

出家してラサ在住。たぶんゲルクパ。

巡礼団がラサで会っていたお坊さんは、実はツェリンとツェワンの叔父さんだったのですよ。このお坊さん誰?と思った人が多いかもしれない。

(3) ツェリン ཚེ་རིང་ tshe ring

ケルサンの長女。娘ばかりなので、長女のツェリンが婿取りをして家を継いでいる。

ロンメでの出産も本当のツェリンの出産シーンみたい(場所はロンメかどうかわからないが)。あんな生々しい出産シーンが入った映画、はじめて見た。

テンジン・テンダルが生まれるまでは、ツェリンは当然五体投地をしないで歩いている。が、見た感じ臨月のお腹ではないので、テンジンが生まれてから撮影を開始したと推察する。あの出産シーンは、巡礼開始前に撮影しておいたのだろう。

五体投地しないとはいえ、わざわざ臨月に巡礼を開始する、ということはないはず。このへんはフィクション。

(4) セパ སད་པ་ sad pa

ツェリンの婿。綴りはよくわからない。セパとは本名ではなく、なにかあだ名のようなものかもしれない。テンジンが生まれるシーン以外は目立たない男だね。

(4.5) テンジン・テンダル བསྟན་འཛིན་བསྟན་དར་ bstan 'dzin bstan dar

この世に出現した瞬間から映画に出演しているという、珍しい人生の始まり。これは一生つきまとうんだろうなあ。

巡礼の途中で生まれた、というのはフィクションではないか、と私は思っているのだが、ずっと巡礼を共にしていたのは事実だろう。

ただし、実際は撮影時以外はスタッフ車の中にいて、おそらく医療関係者も同行していたんではないか、と推察する。

トラックの後ろに乗り、赤ん坊も一緒にカン・ティセに向かう巡礼団は何度も見た。チベットの赤ちゃんは丈夫なのですよ。だから、あのやり方も決して常識はずれではない。

(5) ツェワン ཚེ་དབང་ tshe dbang

ケルサンの次女。ニマ家に嫁入りした。ニマの息子たち3人と一妻多夫関係を結んでいるが、その兄弟たちは登場しない。その辺の事情は、映画では全く語られることはない。

張監督が一番最初に出会ったのが、このツェワンだったという。

(6) ダワ・タシ ཟླ་བ་བཀྲ་ཤིས་ zla ba bkra shis

セパの弟。あまり出番なかったな。

(7) ワンギェル དབང་རྒྱལ་ dbang rgyal

ツェリン、ツェワンのいとこの少年。ラサで床屋の娘にふられる(これはフィクション)。さすがラサの娘は可愛い(プロあるいはセミプロの女優かもしれないが)。

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【ジグメ家】

(8) ジグメ འཇིགས་མེད་ 'jigs med

ジグメ家の主人。丸顔で、巡礼団の中ではよく目立つ存在。

自宅の新築で2人が亡くなり、その供養として巡礼に参加する。この辺も事実らしい。

(9) ムチュ མོས་སྤྱོད་ mos spyod

ジグメの妻。綴りは自信なし。

全然目立たない人。娘タツォを叱ったり、面倒見たり、といったシーンが実際はたくさんあったはずだが、監督はこういった側面をバッサリ切っている。作風だろう。

(10) タシ・ツォモ(タツォ) བཀྲ་ཤིས་གཙོ་མོ་ bkra shis gtso mo

本作のアイドル。ジグメとムチュの末娘。小5くらいか(巡礼の間、学校はどうするんだろうとか、いろいろ考えてしまうが)。

五体投地で進む巡礼は何度も見たことがあるが、これくらいの子供は見たことがない。映画の撮影とはいえ、実際にやりとげているのだがらすごいね、この子は。

機嫌が悪くなったり、母親に甘えたりといったシーンは実際は多かったはずだが、「頭が痛い」と愚痴るシーンが一度あっただけで、あとは全く取り上げられていない。張監督のクールな作風のなせる技だ。

巡礼というメインテーマをじっくり描くためには、こういった個々の日々の調子まで細かく描いていると、散漫になり収拾がつかなくなる、というのは理解できる。しかしその辺が「感情移入しにくい映画」と感じた人もいると思う。

増水して道が川になっている箇所を五体投地で進むシーンでの笑顔は本当に楽しそう。ここはドキュメンタリーだ。

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【ワンドゥ家】

(11) ワンドゥ དབང་འདུས་ dbang 'dus

ジグメの友人。シャンパ བཤན་པ་ bshan pa 家畜解体業者。家畜たちの供養と、これまでの罪を贖うために巡礼に加わった。三枚目役として、非常に効果的なキャスティングだった。

赤い髪飾り「ダシェー སྐྲ་ཤད་ skra shad」をまいている唯一の男。カムパ ཁམས་པ་ khams paといえばダシェーなのだが、マルカムあたりでは、ダシェーはあんまりはやらないのかもしれない。カンゼ དཀར་མཛེས་ dkar mdzes 甘孜では赤、チャムド ཆབ་མདོ་ chab mdo 昌都では黒のダシェーをみんな巻いていたが・・・。

ラウォ ར་འོག ra 'og 然烏で、そこら辺のおっさんに「巡礼中はダシェーとかの装飾品は外せ」と説教されていたのもおもしろい。いるよね、ああいうおっさん。カムパらしい。

なお、ラウォはコンポ ཀོང་པོ་ kong poとの境界近くだが、まだカム。あのテンガロンハットと一見偉そうに説教をふっかけてくるメンタリティは、まさしくカムパだ。

実際にあのおっさんに、そう説教されたんだろうなあ。映画はその直後にそれを再現したものだろう。家に招待されたのも、多分事実だろう。

めったに見れないラウォあたりの風景が、じっくり見れたのも収穫。

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主要登場人物が11人もいると、その紹介だけでもこれだけスペースが必要となる。

映画の内容については次回。

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