2016年12月20日火曜日

Mustang王Jigme Dorje Palbar Bista逝去

MustangあるいはLo Mangthang གློ་བོ་སྨོན་ཐང་ glo bo smon thangの王様(ギャルポ རྒྱལ་པོ་ rgyal po)だったJigme Dorje Palbar Bista འཇིགས་མེད་རྡོ་རྗེ་དཔལ་འབར་ जिग्मे दोर्जेपलवर विष्टさん(1930-2016)が2016年12月16日Kathmanduで亡くなられたそうです。享年86歳。

・myRepublica > Kamal Pariyar/Last king of Mustang dies at 86.  December 17, 2016 00:00 AM
http://www.myrepublica.com/news/11273

ご冥福をお祈りいたします。

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王制は2008年に完全に廃止され、昨年からは王も健康上の理由でKathmanduに移り、入院していたようです。

知っている人は少ないかもしれませんが、Mustangを訪れた研究者やトレッカーを温かく迎えてくれることで有名な方でした。また一人、チベット文化圏のビッグネームが逝ってしまわれたなあ。

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私はMustangには行ったことはありませんが、カン・ティセ གངས་་ཏི་སེ་ gangs ti seからヤルツァンポ ཡར་ཀླུང་གཙང་པོ་ yar klung gtsang po沿いの道で東へ向かう途中、ドンバ འབྲོང་པ་ 'brong pa 仲巴付近からDhaulagiri方面を眺め、「あの先がMustangかあ」と思っただけでした。

しかし、チベット側からだと、峠らしい峠もなくホントちょっと下るだけでMustangなんですよね。国境なんて馬鹿らしいものと思わざるを得ませんでした。

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あまり知られていませんが、Mustang王家は大元をたどると、出自はシャンシュン ཞང་ཞུང་ zhang zhungになります。吐蕃時代に活躍したキュンポ ཁྱུང་པོ་ khyung po氏の末裔です。

キュンポ氏は、中央チベットに出てツァン gtsangに領地を得たキュンポ・プンセー・スツェ ཁྱུང་པོ་སྤུང་སད་ཟུ་ཙེ་ khyung po spung sad zu tseの系統(これがいわゆる小羊同/楊童)、シャンシュンに残り、644年頃に滅ぼされたリク・ミリャ ལིག་མྱི་རྷྱ་ lig myi rhya王朝の後を受けて、吐蕃属国のシャンシュン王となった系統(ラサンジェ王朝 ར་སང་རྗེ་ ra sang rje)があります。後者は、その後677年に結局吐蕃に滅ぼされて、カム ཁམས་ khams西部まで逃げテンチェン སྟེང་ཆེན་ steng chen 丁青にボン教王国を築きました。

一方、ツァンのキュンポ氏は、吐蕃時代には吐蕃家臣としてちょこちょこ名前が出てきます。

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吐蕃崩壊後、ツァンのキュンポ氏はツァン各地に散らばっていきます。その中から出てきたのが、キュンポ・ネンジョル ཁྱུང་པོ་རྣལ་འབྱོར་ khyung po rnal 'byor(1086-1139)とミラレーパ མི་ལ་རས་པ་ mi la ras pa(1052-1135)の二大高僧。Mustang王家はその遠い親戚に当たるわけですね。

吐蕃崩壊後、中央チベットから西遷した吐蕃王家末裔の一つがグンタン王国 གུང་ཐང་ gung thang 貢塘王国。その領地は、現在のキーロン སྐྱིད་གྲོང་ skyid grong 吉隆~ゾンカ རྫོང་དགའ་ rdzong dga' 宗嘎を中心とし、最盛期にはツァン西部を広く支配しました。

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その家臣として活躍したのがキュンポ氏の一支系。この家系から出たチューキョン・ブム ཆོས་སྐྱོང་འབུམ་ chos skyong 'bumは、1400年頃現在のMustangに代官として派遣されます。15世紀になるとグンタン王国は衰え始め、これに乗じてチューキョン・ブムの子アメ・ペル・サンポ・ギャル ཨ་མ་དཔལ་བཟང་པོ་རྒྱལ་ a ma dpal bzang po rgyalが1440年に独立。これがMustang王国の始まりです。

最盛期にはプラン སྤུ་ཧྲེང་ spu hreng普蘭に攻め入るなど、ツァン西部(ンガリー・メー མངའ་རིས་སྨད་ mnga' ris smad ンガリー下手と呼ばれることもある)方面の大勢力として君臨してきたこの王国も、19世紀になるとネパールGorkha王朝の属国となりました。その後も王国は細々と続いてきましたが、それも2008年にはついに終焉を迎えました。創建から実に600年近く。

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Jigme Dorje Palbar王の子息Jigme Sinki Palbar Bista འཇིགས་མེད་སེང་གེ་དཔལ་འབར་ 'jigs med seng ge dpal 'barが名目上王位を継がれるのでしょうが、旧王国の経営は一層難しくなりそうな気がします。

もしかすると、チベット側ルートが開放されれば、ツーリスト(大半は中国人になりそうだが)は倍増するかもしれない。でもなあ、それだと確実に文化汚染が進みそうだしなあ・・・。

そんな心配もしてしまう訃報でした。改めてJigme Dorje Palbar王のご冥福をお祈りいたします。

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