2015年5月6日水曜日

イムに行ってきましたよ

先日、イムに行ってきました。え?イムって何かって?あの話題のイムですよ、イム。

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すごい人出!と思ったら、大半は鳥獣戯画のお客さん。イムの方はほどほどの入りで、まあまあじっくり見ることができました。

いつものように2ラウンド回って来ました。今回は解説して回る流れにはならなかったな。

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今回の展覧会の特徴としては、パーラ朝(8~12世紀)のものが多かったこと。なので、非常にわかりやすかった。

なぜわかりやすいかというと、パーラ朝時代になると、諸尊格の図像フォーマットがほぼ定まってしまい、チベット仏教での姿とほとんど違いがなくなるからです。チベットで見慣れたお姿ばかり。

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仏像展示では、日本では馴染みのない尊格がドッと出てくる後半の展示(図録で言うと、6密教の世界)が一番面白かった。あ、俺だけか。

摩利支天(मरीची Marici འོད་ཟེར་ཅན་མ་ 'od zer can ma)、仏頂尊勝母(उष्णीषविजया Ushnishavijaya རྣམ་རྒྱལ་མ་ rnam rgyal ma)あたりは、全体のバランスも細部の意匠も完璧で感動。「よくわからない」という顔で通り過ぎる方が多かったようですが。

小さいブロンズ像でしたが、般若波羅蜜多仏母(प्रज्ञापारमिता Prajinaparamita ཡུམ་ཆེན་མོ་ yum chen mo)も素晴らしかった。

金剛法菩薩(वज्रधर्म Vajradharma རྡོ་རྗེ་ཆོས་ rdo rje chos)、金剛薩埵(वज्रसत्त्व Vajrasattva རྡོ་རྗེ་སེམས་དཔའ་ rdo rje sems dpa')、上楽王仏(संवर Samvara བདེ་མཆོག bde mchog)の他にも、もっと密教仏が見たかったが、それだと一般の方々はついて行けなくなるでしょうから、まあ仕方ない。

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一番の衝撃は経典の挿絵ミニアチュールでした。三種の挿絵入り経典が展示されていましたが、どれも凄かった。

現物の絵はごくごく小さいものなのですが、それを拡大して展示してくれてるのが、大変ありがたかった。チベットで壁画を見ている感覚。楽しい。

皆チベットにも伝わっている絵画スタイルですので、一見してチベットのものか?と見紛うくらい。自分にはしっくり馴染むパートでした。

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(1)『八千頌般若波羅蜜多経(अष्टसहस्रिक प्रज्ञापारमिता सूत्र Ashtasahasrika Prajnaparamita Sutra ཤེས་རབ་ཀྱི་ཕ་རོལ་ཏུ་ཕྱིན་བརྒྱད་སྟོང་པའི་མདོ། shes rab kyi pha rol tu phyin brgyad stong pa'i mdo/)』

パーラ朝11世紀。

11世紀といえば、チベットではグゲ王国の全盛期。当時の壁画はラダック・アルチ・チョスコル・ドゥカン/スムツェクに代表されるように、背景が青の時代です。

ところが同時代には、パーラ朝では次のスタイルが始まっていたんですね。このスタイルは、ネパール経由でチベットに伝わり、13~15世紀に大流行します。背景が赤の時代です。

今回の挿絵は、特にラダックのピャン・グル・ラカンのものとそっくりです。同じ絵師が描いたんじゃないかと思うくらい。

展示や図録では、ほとんどの尊格が「男尊」、「女尊」としか記されていませんが、これは漢名がなく長ったらしいインド名しかないから省略したのか、本当にわからなかったのか、定かでない。

そのうち比定してみようか。色が重要なようなので、Lokesh Chandra本だけじゃ心もとないから、久々にMartin Brauen本を引っ張り出してみようかな。

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(2)『五護陀羅尼経(पञ्चरक्षा Pancaraksha གཅན་རིམ་པ། gcan rim pa/)』

東インド14世紀。

このころは、もうインドでは仏教は滅びていた、という認識ですが、一体東インドのどの辺で作られたものなんでしょうか?ちょっと謎。もしかするとネパールあたりじゃないかという気がする。

先ほどの11世紀の絵からは、またスタイルが変わってきています。トリン/ツァパランなどで見られる新グゲ様式と似た感じです。みんな細身。チベットでは、主にグゲやラダックで15~17世紀に大流行します。

この五女尊はあまり馴染みがないが、チベットのどっかでまとまって見たような気もする。どこだっけなあ。

いい機会なので、それぞれのチベット名も記しておきましょう。

1-大随求明妃(महाप्रतिसर Mahapratisara སོ་སོར་འབྲང་མ་ so sor 'brang ma)
2-大千摧砕明妃(महासहश्राप्रमर्दिनी Mahasahashrapramardini སྟོང་ཆེན་མོ་རབ་ཏུ་འཇོམས་མ་ stong chen mo rab tu 'joms ma)
3-大孔雀明妃(महामयूरी Mahmayuri རྨ་་བྱ་ཆེན་མོ་ rma bya chen mo)
4-大寒林明妃(महाशीतवती Mahashitavati བསིལ་བའི་ཚལ་ཆེན་མོ་ bsil ba'i tshal chen mo)
5-密呪随持明妃(महारक्षा Maharaksha གསང་སྔགས་ཆེན་མོ་ gsang sngags chen mo)

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(3)『仏説大乗荘厳宝王経(करण्डव्यूह सूत्र Karandavyuha Sutra འཕགས་པ་ཟ་མ་ཏོག་བཀོད་པ་ཞེས་བྱ་བ་ཐེག་པ་ཆེན་པོའི་མདོ། 'phags pa za ma tog bkod pa zhes bya ba theg pa chen po'i mdo/)』

東インド14世紀頃。

これも東インドのどこなのか謎。

これまたおもしろい絵です。雲や山などの風景が入ってきて、チベット絵画の新派に近いスタイル。

こういったスタイルは、中国絵画からの影響でカムで始まった、と思い込んでいたのですが、14世紀頃のインドにすでにあったのですね。少し考え直さないといけないかもしれません。

David Jackson本も持っていますが、全然読んでないから、ちゃんと読まなきゃなあ。

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特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」
東京国立博物館 表慶館  
JR「上野」駅公園口・「鶯谷」駅南口より徒歩10分
2015年3月17日(火) ~ 2015年5月17日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1701

は、5月17日(日)までやっていますから、仏教美術に興味のある方は是非行ってみてください。

参考:

・頼富本宏+下泉全暁(1994)『密教仏像図典 インドと日本のほとけたち』. pls+308pp. 人文書院, 京都.
・東京国立博物館+日本経済新聞社+BSジャパン・編 (2015) 『特別展 コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流』. 208pp. 日本経済新聞社, 東京.

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余談ですが、頼富本宏先生は3月30日に亡くなられました。お会いしたことはありませんが、いろんな本を通じて、たくさん教えていただきました。ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

2015年5月4日月曜日

柱建て祭りとKumari(2) 『処女神 少女が神になるとき』の中身

では、柱建て祭りとKumariの話を再開します。

Kumariにまつわる伝説・儀式はかなり複雑で、解明するのは一筋縄では行きません。調べれば調べるほど、どんどん話が深く広くなっていくので、ゴールがなかなか見えてこないのです。

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・植島啓司 (2014) 『処女神 少女が神になるとき』. 集英社, 東京.

植島先生のこの本でも、明確な結論にはまだ達していない、と感じます。そのため、本書中での解明への筋道も今ひとつわかりにくい。

それで、植島先生は、調査過程を時系列順に並べ、読者が調査を追体験できるようにしています。感情移入しやすくなっており、読み物としてたいへん有効。この辺の持って行き方は、一般書も多数書かれている植島先生ならではの技術の高さですね。

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植島先生は、まず、Kathmanduの柱建て祭り・雨乞い祭りであるIndra Jatraと、これに付随しているように見えるKumari Jatraを分離する作業からとりかかります。

Indra Jatra自体は本来Kumariとはあまり関係なく、後にKumari Jatraと合体したのではないか、という疑問は以前から提示されていたことです。ここでも、その方向性でIndra Jatraの解明を進めます。

それはうまくいったようなのですが、すると、じゃあなんでIndraとKumariがくっついているのか、かえって謎が深まったような感もあります。

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次に植島先生は、Kumari信仰の原点を求めて、Kathmnanduの南Patan~Bungamatiに焦点を合わせます。

PatanにもBungamatiにも、いわゆるLocal Kumariがいます。

こちらでは雨乞い・豊穣の神Rato Matsyendranath(赤マチェンドラ)と結びつき、Matsyendran Jatraという祭りの要所要所でKumariが重要な役割を果たします。

Matsyendranathはヒンドゥ教での神格で、ネワール仏教ではKarunamaya(大悲観音)とされます。

Matsyendra Jatraもやはり柱建てを中心とした雨乞いの祭りで、Indra Jatraとよく似ています。植島先生は、柱建て祭りとKumariの関係は、Patan~BungamatiのMatsyendra Jatraに原型があるとみて調査を進めます。

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そこでの結論は、Karunamaya/Matsendranathをインドから招来する際の妃としてKumariが引っぱりだされたのではないか、というものです。あるいは、Kumari自体もKarunamayaと共にKathmandu盆地にもたらされたのではないか?という推測も提示されています。

調査をしているうちに、Indra Jatraの解明やMatsyendra Jatraの解明にテーマが移ってしまい、Kumariについては、今ひとつすっきりしない結論、という印象です。

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それも仕方ないのです。

Kathmandu盆地でのKumari信仰の始まりは11世紀以前であることは確実ですが、その古い時代には、充分な史料が残っていません。いきおい研究の方向性は、Indra JatraやMatsendra JatraとKumariの関係性の解明に向かってしまうのです。

その意味では、植島先生の研究には充分な成果があった、と言えるでしょう。

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しかし、未解明の問題も残っています。

ヒンドゥ教世界に属するKumari信仰で、なぜ仏教徒からKumariが選ばれるのか?また、その出身はなぜShakya氏族でなくてはならないのか?など、わからないことだらけです。

Indra JatraとKumari Jatraの結びつきも、王権儀礼として結びついた、という解釈ですが、Matsyendra JatraとKumariの結びつきとは別なのでしょうか?

この辺も、私には今ひとつすっきりしませんでした。

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これから私の見解を述べてみるわけですが、そちらでもIndra JatraやMatsyendra Jatraの解明が中心になります。

Kumariはなかなか登場しませんが、Kumariが登場する頃には、けっこうおもしろい展開になっていますからお楽しみに。

最重要キーワードは「Naga」です。

2015年5月3日日曜日

ネパール大地震 募金先

ネパール大地震の救援はまだまだ終息していませんが、ネパールの文化を伝えることもひとつの支援と考え、次回から柱建て祭りとKumariの話題を再開します。

今年は、現地では祭りどころではなさそうですが。

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改めて今回の地震の犠牲になった方のご冥福を祈るとともに、被災者の方々にお見舞い申し上げます。私も微力ながら、今後しばらくネパールの応援を続けます。

ここで信頼できるネパール地震被害義援金募集先をひとつ。

公益社団法人 日本ネパール協会 【ネパール地震被害義援金の募集】 投稿日: 2015年5月2日 作成者: jns
http://nichine.or.jp/JNS/?p=7837