2015年11月7日土曜日

2015年11月1日(日)東京外語大でドキュメンタリー映画「Nowhere to Call Home」を見てきました-その1

ちょっと古い話になってしまいますが、このblogは速報性など期待されていないので平気。

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東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所. 言語の動態と多様性プロジェクト (LingDy2) 主催映画上映会.
Nowhere to Call Home. ノーウェア・トゥ・コール・ホーム. ジャスリン・フォード監督 2014年
日時:2015年11月1日 (日) 16:00-18:30 (15:45開場)
場所:東京外国語大学アゴラ・グローバル3階プロジェクトスペース

というのに行ってきました。こういう催し物にはあまり参加しないのですが、久々に行ったところ、星先生をはじめ10年ぶりくらいに見る人、会う人がたくさんいて楽しい時間を過ごしました。

参考 :

・TibetanCinema/チベット文学と映画制作の現在 > 2015年10月19日月曜日 ドキュメンタリー映画 "Nowhere To Call Home" 上映会
http://tibetanliterature.blogspot.jp/2015/10/nowhere-to-call-home.html
・東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所 > 過去のイベント > 2015/11/01(日) “Nowhere To Call Home” 上映会 【公開】
http://www.aa.tufs.ac.jp/documents/sympo_ws/film_20151101ja.pdf

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あちこち寄り道しながら、映画の内容を紹介してみましょうか。

北京に住む記者Jocelyn Ford(女性、USA出身)が、北京の街角でチベット・アクセサリーを売るゲリラ路面商ザンタと出会うところから物語が始まる。話を聞いてみると・・・

ザンタは夫と死別。婚家とも折り合いが悪くなり、息子ヤンチェンを連れて北京に逃げて来ました。北京の映像は、ヤンチェンの学校探し、家探し、ゲリラ路面商活動と公安とのイタチごっこで右往左往する様子を中心に綴られます。

中でもヤンチェンの教育問題が、ザンタの心配事でも映像でも中心に置かれています。

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まず名前から。

主役ザンタ(女性)は、

(1)bzang rtags བཟང་རྟགས་ = 吉兆
(2)bzang khrag བཟང་ཁྲག = 無病息災
(3)bzang zla བཟང་ཟླ་ = 吉月(8月の別称)

のどれかではないかと思いますが、個人的には(3)が有力か?という気が。

なおアムド語は、西チベット諸語と似て字面に近い発音。よってbzangは「ザン」と濁ります。

息子ヤンチェンは、

g-yang can གཡང་ཅན་ = 幸運を有する(者)

に間違いない。同音では、

dbyangs can དབྱངས་ཅན་ = 妙音を有する(者)

の方が有名ですが、この名はヤンチェンマ dbyangs can ma དབྱངས་ཅན་མ་ (弁財天)の略称でもあり、通常女性名なので違うでしょう。

名前はこれくらいにして、次に行きましょう。

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ザンタの出身地は、四川省チベット圏の「ルマ རྨ་ rma」という村だといいます。

てっきりカムのどこかと思っていましたが、ザンタの姿を見ると、ヒョウ柄の帽子をよくかぶっています。ということで、薄々アムド方面のようだとわかってきました(アムドワはヒョウ柄が大好き)。

しかし、この場所がわからない。『四川省地図冊』を見ても、Amnye Machen Instituteの地図を見ても見つからない。

結局Google Mapで見つかりました。といっても一筋縄では行きません。まあやってみてください。違う場所ばかりひっかかって、なかなかたどり着きませんから。

























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四川省阿壩藏族羌族自治州紅原県の北東はずれ、スンチュー(ཟུང་ཆུ་ zung chu 松潘)とゾルゲ(མཛོད་དགེ mdzod dge 若爾盖)の間あたりです。

ザンタとヤンチェンが故郷へ向かう途中、「2008年の四川大地震被災地をバスで通った」というナレーションが入ります。これは、成都から汶川(ལུང་དགུ lung dgu)、茂県(མའོ་ཝུན་ ma'o wun)を通ったのでしょう。ここからスンチュー(松潘)を経てゾルゲ行バスを途中下車。

ゾルゲへ向かう213国道沿いにバンユル・チュー(བན་ཡུལ་ཆུ་  ban yul chu 班佑河)が流れています。この河に流入する南南西→北北東の谷の一つがルマ(རྨ་ rma 爾瑪)村のある谷。ルマ村は、街道から谷へ入って6kmほど。

ただし、このルマはザンタの実家なのか婚家なのかよくわからない。婚家の方なのかな?

ra mgo(ར་མགོ) も読んで「ルマ」になるのがアムドらしいですね。

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上映後にアムド研究者の方々と話していたら「場所はどこ?」という話になり、アムドの中でも「ヂャロン(རྒྱལ་རོང་ rgyal rong 嘉絨)近くではないか?」とか、「ザ・チュー(རྫ་ཆུ rdza chu 扎曲)の方かも?」などと意見が出ていました。

このザ・チューは、セルシュー(སེར་ཤུལ་ ser shul 石渠)あたりを流れるニャロン・チュー(nyag rong chu 雅礱江)上流部のことか、メコン河最上流部でゴロク(མགོ་ལོག mgo log 果洛)のことかわかりませんが。よく訊いておけばよかった・・・。

(追記)@2015/11/07

よく考えたら、四川省を通っていないメコン河のはずはありませんね。失礼しました。ということは、やっぱりザチュカ(རྫ་ཆུ་ཁ་ rdza chu kha)のことか。

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私には皆目わかりませんでしたが、おそらく言葉や習俗などから判断してのことと思います。

ヂャロンにはほどほど近いですね。なるほど。ザ・チューはどっちにしてもちょっと遠い。

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ところが、私がアムドを調べるときにいつも頼りにする

・青海省社会科学院蔵学研究所・編, 陳慶英・主編 (1991) 『中国蔵族部落』. 14+5+651pp. 中国蔵学出版社, 北京.

におもしろいことが書いてありました。

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構成も何も考えずダラ書きしているので、長くなってしまいました。

以下次回。

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