2009年6月17日水曜日

「ブルシャスキーって何語?」の巻(1) ブルシャスキー語

また西部チベット「方面」の話に戻ることにしましょう。といっても、今度は「チベット文化圏(Ethnic Tibet)」もちょっと飛び越えてしまいますが。

「ブルシャスキーって何語?って、ブルシャスキーと言ったらフンザのブルシャスキー語に決まっているじゃないか」とおっしゃるかもしれませんが、まあひとつ話を聞いておくんなまし。

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その通り、ブルシャスキー(Burushaski)といえばカラコルム(注1)の奥地フンザ(+ナガル+ヤスィン)で使われている言葉の名称です。

この言葉は周囲の言葉(ダルド系言語のシナー語、ペルシア系言語のワヒー語、チベット系言語のバルティ語など)とはまったく異なり、言語系統不明の孤立語とされています(注2)。そのためフンザの人々(自称はブルショ/Burusho)も、いったいどういう出自であるのかわかっていません。

この近辺ではお馴染みの「アレクサンドロス大王軍兵士の末裔」という「俗説」もありますが(注3)、これは荒唐無稽な伝説として研究者には認められていません。


ウルタル氷河を背景にフンザ遠景

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まず、ブルシャスキー語がどんな言語なのか見ておきましょう。

ほとんど他人の仕事の引き写しなのに、語尾や語順だけちょっと変えてさも自分の仕事でござい、と出すも姑息なので、ここは専門家がコンパクトにまとめたものをそのまま紹介しておきます。出典は、

・吉岡乾(よしおかのぼる) (2006) 先住民たちの現在(23) ブルシャスキー語を話す人々. 月刊言語, vol.35, no.11[2006/11], pp.96-99.

┌┌┌┌┌ 以下、吉岡(2006)より ┐┐┐┐┐

◆ブルシャスキー語の特色

ブルシャスキー語はパキスタン北部地域、フンザ、ナガル、ヤスィンという三つの谷で主に用いられており、大まかに、谷ごとに方言差がある。言語系統は不明で基本語順はSOV、膠着的な分裂能格言語。高低アクセントを持ち、反り舌音や反響語(echo word)などがインド的言語特徴として見られる。子音y.[(注4)]が通言語的に珍しい。名詞クラスが四つあり、概して、ヒト男性、ヒト女性、具体物、抽象物がそれぞれに分類される。妖精や魔物は、ヒト女性か具体物に属する。一部、所属主を義務的に明示しなければならない名詞、形容詞があり、例えばa-ríing(注5)「私の手」、gu-ríing(注5)「あなたの手」(a-「私の」、gu-「あなたの」)に含まれている名詞要素-ríing(注5)「手」は、単独では用いられない。数詞は20進法と10進法の組み合わせになっていて、例えば「494」は、wálti tha ke wálti áltar túrma wálti(「4」×「100」「&」「4」×「20」+「10」+「4」)となる。
(以下略)

└└└└└ 以上、吉岡(2006)より ┘┘┘┘┘

この十代の数え方に現れる、20をひとかたまりとする数え方(注6)はブルシャスキー語独特であるかのごとく大げさに喧伝されることがありますが、実は周囲のダルド系言語シナー語、コワル語、カラーシュ語などはみな同じ数え方をします。さらに東のチベット・ビルマ系ヒマラヤ諸語のラーホール諸語(パッタン語、ティナン語、ガハール語)、キナウル語なども同じです。

例 : 「75」の数え方
ブルシャスキー語: iski altar turma tsundo (3×20+10+5)
シナー語 : che bi gah daiy poin (3×20+10+5)
カラーシュ語: troi bishir jush ponch (3×20+10+5)
キナウル語 : shumu nizau sae nga (3×20+10+5)

ブルシャスキー語特有ではなく、(少なくとも)西部ヒマラヤでは珍しくない数え方であることがわかります(東西さらにどこまで追跡できるのかは知りません)。

考えてみれば、十進法が両手の指全部を基準にしているのに対し、二十進法は両手・両足の指全部を基準にしているのですから、特に変わった数え方とは言えないでしょう。ある特定の言語・文化に源泉を求めるのは不可能かもしれません(バスク語やアイヌ語なども同じ数え方です)。


カラコルム地方言語地図

上図に関する参考:
・Ahmad Hassan Dani (1991) HISTORY OF NORTHERN AREAS OF PAKISTAN. pp.xvi+532. National Institute of Historical and Cultural Research, Islamabad.
・P.N. Pushp+K. Warikoo(ed.) (1996) JAMMU, KASHMIR AND LADAKH : LINGUISTIC PREDICAMENT. pp.224. Har-Anand Publications, New Delhi.
・F.M. Khan (2002) THE STORY OF GILGIT BALTISTAN AND CHITRAL. pp.xiv+256. Eejaz Literary Agents & Publishers, Gilgit.
・The Gulf 2000 Project > Reference > Map Collections > Ethnographic and Cultural/1. Languages/Baluchistan and Pakistan Languages((c)M.Izady, 2007)
http://gulf2000.columbia.edu/images/maps/Pakistan_Baluchistan_Linguistic_sm.jpg

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言葉の響きも、ヒンディ語/ウルドゥ語とペルシア語の中間的な響きを持つシナー語とはだいぶ違い、やたらと母音がはさまるあたりはちょっと日本語と似た響きでもあります。共通する単語こそなさそうですが、キナウル語などのヒマラヤ諸語とも語感は似ている気がします(注7)。

いくつか簡単なフレーズを紹介しておきましょう。

ご機嫌いかがですか?: Besan hal bila ?
元気です。 : Shuwa ba.
あなたの名前は何ですか?: Uume guik besan bila ?(注8)
私の名前は~です。: Jaa eik ~ bila.(注8)
~はどこですか?: ~ amulo bila ?
~はありますか?: ~ bila ?
これはいくらですか?: Khos(男性形)/Khot(女性形) berum bila ?
(私に)~を下さい。: Jar ~ Jowuu.
わかりません。: O dayalam.
1:han/2:alto/3:usko/4:walto/5:tsundo/6:misindo/7:talo/8:altambo/9:huncho/10:turmo/10+X:turma+X/20:altar/100:tha

参考:
・John Biddulph (1880) TRIBES OF THE HINDOO KOOSH. pp.vi+164+clxix. Calcutta. → Reprint : (2001) Bhavana Books & Prints, New Delhi.
・萬宮健策 (1990) ブルーシャスキー語語彙調査についての報告. (東京外国語大学)言語・文化研究, no.8[1990/03], pp.23-30.
・John King (1993) KARAKORAM HIGHWAY : THE HIGH ROAD TO CHINA : 2ND EDITION. pp.234. Lonely Planet, Hawthorn(Australia).
・John Mock+Kimberley O'Neil (1996) TREKKING IN THE KARAKORAM & HINDUKUSH. pp.332. Lonely Planet, Hawthorn(Australia).
・Hunzo.com > Burushaski > General Conversation
http://www.hunzo.com/Burushaski/b_conversation.asp
(追加@2009/06/29)

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この「ブルシャスキー語」の「ブルシャ」とは?、「スキー」とは何でしょうか?

「ブルシャ」の方は、民族名「ブルショ」と同源なのは明らかです。その源流はこれから何回かかけて探索していきますが、今のところその語源は不明です。

一方の「スキー」は、一見スラブ系言語の「~の出身」を表す接尾辞のように見えますが、これは偶然。ブルシャスキー語研究は19世紀からイギリス人の手で始められており、ロシア人は初期には関与していません。それに、「ブルシャスキー」は地元での自称であって、研究者が勝手に発明し名づけた用語でもありません。

「スキー」の方も、今のところ意味・語源とも不明です。これも後ほど探索していきますが、その前にまず「ブルシャ」を片づけましょう。

この辺、ギルギット~フンザの歴史に馴染みのある方はほとんどいないでしょうから、基礎知識として次回はまずその歴史を簡単に紹介しておきましょう。

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(注1)
日本では「カラコルム」という表記が一般的だが、英語表記では「Karakoram」または「Karakorum」。両方「カラコラム」と発音するはずだが、日本では後者のスペルをローマ字読みして、なぜか「カラコルム」となった。

同様な例に、インドのウッタラーンチャル州の避暑地「Mussoorie」がある。これは「マスーリー」と読むのだが、日本ではこれをローマ字読みして「ムスーリー」となった。

(注2)
ブルシャスキー語の系統を探索する学説は諸説あり、近年ではIlija Casule(マケドニア出身)による「フリギア語関連説」、George van Driemによる「イェニセイ語(ケット語)関連説」などが話題を呼んでいる。しかしどの説も多くの支持を得るまでには至っておらず、依然系統不明としておくのが無難。

参考:
・縄田鉄男 (1999) ブルシャスキー語. 亀井孝ほか・編著 (1999) 『言語学大辞典 第3巻 世界言語編(下-1)』所収. pp.844-850. 三省堂, 東京.
・George van Driem (2001) LANGUAGES OF THE HIMALAYAS : AN ETHNOLINGUISTIC HANDBOOK OF THE GREATER HIMALAYAN REGION, CONTAINING AN INTRODUCTION TO THE SYMBIOTIC THEORY OF LANGUAGE (2 vols). Brill, Leiden.
・Ilija Casule (2004) Burushaski - Phrygian Lexical Correspondences in Ritual, Burial, Myth and Onomastics. Central Asiatic Journal. vol.48, no.1, pp.50-104.

(注3)
西部ヒマラヤのあちこちに流布している「アレクサンドロス大王軍兵士の末裔」という俗説については、いずれまとめて紹介しようと思っています。

(注4)
IPA発音記号で示されており、


(注5)
実際はIPA発音記号で示されており、


(注6)
一般に、単純に「二十進法」と表現されることもあるが、例えば17=turma tullo(「10」+「7」)という組み合わせで純然たる二十進法ではない。「二十進法と十進法の組み合わせ」という表現が正確だが、もう少し手短な表現にならないものだろうか・・・。

(注7)
ブルシャスキー語とヒマラヤ諸語の比較は本腰を入れてやったことはないのですが、「水」を意味する単語、ブルシャスキー語「tsil」とヒマーチャル・プラデシュ州のヒマラヤ諸語(ラーホール諸語、マラーナーのカナシ語、キナウル語)「ti/soti」(シャンシュン語では「ti/ting」)は関係あるかもしれない。

これは、フンザ周辺の言語、シナー語「woi」、カシミール語「pony」、ワヒー語「yupkh」、バルティ語(チベット語)「chu」などとは全く共通点がない。

また、「良い。」を意味する文章、ブルシャスキー語「Shuwa ba」とマラーナーのカナシ語「Shobilas」はかなり近い。「~ bila(~です)」は、ブルシャスキー語で頻出する言い回しなので特に気になるところ。

(注8)
「名前(ナントカ-ik)」は、前述の「所属主を義務的に明示しなければならない名詞」の一つ。名詞要素「-ik」は単独では用いられない。

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(追記)@2009/06/29

ブルシャスキー語例文での参考文献として、うっかり掲載を忘れていたHunzo.comを追加した。

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