2014年5月31日土曜日

ツェリン・シャキャ先生来日してたのか・・・


石濱先生のblogで知りました。

・石濱裕美子/白雪姫と七人の小坊主達 なまあたたかいフリチベ日記 > 2014/05/25(日) 国際チベット学会会長が来日
http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-713.html

ツェリン・ワンドゥー・シャキャ ཚེ་རིང་དབང་འདུས་ཤཱཀྱ tshe ring dbang 'dus shAkya(1959-)先生、といっても邦訳書はひとつもないので知っている人は少ないと思いますが。

でも、チベット現代史を詳細に語り論じた大著

・Tsering Shakya (1999) THE DRAGON IN THE LAND OF SNOWS ; A HISTORY OF MODERN TIBET SINCE 1947. pp.xxix+574+pls. Pimlico, London.
















だけで、充分歴史に名を残す存在です。

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これはダラムシャーラーで買ったんだったかなあ、シムラーだったかなあ。帰国後読み始めたんですが、当時通勤時間が往復4時間もあったので、じっくり読むことができました。1ヵ月くらいかかりましたが。

ドラゴンとは中国のことです。つまりチベット現代史を中国との関係で切って論じた歴史研究書。もっとも、中国との関係抜きでチベット現代史を語ることは不可能ですが。

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この本ではじめて知った事実がたくさんあり、大変勉強になりました。

激動の1950年代は当然詳述されていますが、この本では、これまで情報があまり出てこなかった1960年代以降の中国支配下チベットに詳しいのが特徴です(注1)。

文化大革命時代にチベットで何が起きていたのか、この本ではじめて知った事実が多い。文革後期のニェモ事件などは全く知らなかったので、驚くことばかりでした(注2)。

ムスタンのカムパ・ゲリラとUSAの関係についても、薄ぼんやりだった理解がより鮮明になりました。

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あと、自分の中ではどう位置づけていいのかよくわからなかったプンツォク・ワンギャルも、この本を読んでようやく(自分の中での)置き場所が定まった感があります(注3)。

とりわけ印象深かったのは、ンガプー・ンガワン・ジグメー ང་ཕོད་ངག་དབང་འཇིགས་མེད་ nga phod ngag dbang 'jigs med (1910-2009)の若き日々。

ンガプーといえば、映画『Seven Years in Tibet』をはじめ、チベット現代史では問答無用の悪役として扱われていますが、はじめから親中勢力だったわけではありません。

1940年代には、チベット政府内部で改革を訴え続けましたが全く無視されました。こうして当時のチベット政府に失望していったわけです。チャムド知事として対中国の最前線にあった際は、政府中枢から飛んでくる命令は現実的でない強硬策一辺倒ばかり。それで行き場をなくして親中の立場に追いやられた、という印象です。

ンガプーの評伝なども読んでみたい。中国産では自伝・評伝ともすでにあると思いますが、毎度おなじみのアレになっているのでしょうから、なかなか興味がわかない。中国外での研究として出てほしい。

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『DRAGON・・・』の少し前に出た本ですが、同時期に買ったのが、

・Warren W. Smith Jr. (1996) TIBETAN NATION ; A HISTORY OF TIBETAN NATIONALISM AND SINO-TIBETAN RELATIONS. pp.xxxi+732. Harper Collins Publishers India, New Delhi.
← Original : (1996) Westview Press, Boulder(Colorado).
















これもすばらしい。守備範囲は『DRAGON・・・』よりもやや広く、チベット史全般を扱った本ですが、中心はやはり現代史です。

さすがに一部しか読んでいません。4時間通勤の仕事が終わって読む時間が取れなくなったせいもありますが、そもそも私の興味の中心は現代史・現代政治ではないのが大きいのでしょう。『DRAGON・・・』で、ちょっとお腹いっぱいになった感はあります(注4)。

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このblogでは基本ナマモノを扱わないのですが、たまにはいいでしょう。これで「『DRAGON・・・』を読んでみるか」という人が日本で2~3人出るなら大成功。

もっと言えば、邦訳書が出るならサイコーですが、期待はしていません。

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(注1)

文革時代のチベットに関しては、今でこそ

・ツェリン・オーセル・著、ツェリン・ドルジェ・写真、藤野彰+劉燕子・訳 (2009) 『殺劫(シャーチエ) チベットの文化大革命』. pp.412. 集広舎, 福岡.

などが出て広く知られるようになりましたが、1990年代頃までは亡命チベット人などから断片的に情報が伝わる程度で、チベット現代史本でも記述は非常に少なかった。

(注2)

このニェモ事件については、

・M.C.ゴールドスタイン+ベン・ジャオ+タンゼン・ルンドゥプ・著、楊海英・監訳、山口周子・訳 (2012) 『チベットの文化大革命 神懸かり尼僧の「造反有利」』. pp.382. 風響社, 東京.

という本が出ましたが、まだ読んでいません。

もうね、最近はこういう高い本(¥3000)は買えないのですよ。近所の図書館にもないし。

その書評は阿部治平先生がやってます。

・リベラル21 > 阿部治平/八ヶ岳山麓から > (75) 2013.07.22 チベット人の文化大革命 二冊の本から
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-2442.html

ニェモ事件の概要を知るにもいい記事。

(注3)

プンツォク・ワンギャルについては、その後に出た

・阿部治平 (2006) 『もうひとつのチベット現代史 プンツォク=ワンギェルの夢と革命の生涯』. pp.536. 明石書店, 東京.

でさらに理解が深まったのは言うまでもありません。

(注4)

私の中ではときどき文革ブームが来て、集中的に文革本を読む時期があります。まあ読むたびに胸糞悪くなるのですが。

最近では、文革時代の南モンゴルを詳述した

・楊海英 (2009) 『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録(上)』. pp.27+276. 岩波書店, 東京.
・楊海英 (2009) 『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録(下)』. pp.7+261+28. 岩波書店, 東京.
・楊海英 (2011) 『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録(続)』. pp.14+323+12. 岩波書店, 東京.

がヒット作。この本では、ウランフに対する認識ががらりと変わりました。

2014年5月26日月曜日

チベット・ヒマラヤTV考古学(11) マナスル登山関連番組一覧-その1

マナスル(मनास्लु Manāslu)という山は、日本人にとって特別な山です。

第二次世界大戦後まもなくの苦しい時代、復興の象徴として再開された海外登山。その第一目標が、日本人初のヒマラヤ8000m級高峰、すなわちマナスルへの登山でした。

マナスルの世界初登頂という快挙が、プロレスの力道山、水泳の古畑広之進らの活躍と共に、日本人が世界へ向けての自信を取り戻す力になったのは間違いありません。

日本人が初めてチベット文化圏の映像に触れたのも、このマナスル登山隊が残した記録映像だったと思われます。

その後、1955年からの一連のカラコルム/ヒンドゥクシュ探検隊、1958年のドルポ探検隊と続き、彼らが残した文献・映像は、後にチベット・ヒマラヤ研究者・愛好家を生み出す原動力となっています。私もその末裔の一人といえるでしょう。

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日本のチベット・ヒマラヤ記録映像の原点といえるマナスル登山関係番組をまとめてみます。

全般的な参考:
・深田久弥ほか (1983) 『ヒマラヤの高峰2』. 白水社.
・薬師義美+雁部貞夫・編&藤田弘基・写真 (1996) 『ヒマラヤ名峰事典』. 平凡社.
・公益社団法人 日本山岳会 > 資料室 > 遠征記録 > マナスル Manasuruの歴史1950-1996
http://www.jac.or.jp/info/kiroku/1996/manasr-page.htm












マナスルの位置  (c) Google Map

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【 1953日本山岳会第一次マナスル登山隊関連 】

日本でTV放映が開始されたのは1953年(NHKが2月、日本テレビが8月)。放送時間も短く、コンテンツも少ない時代。マナスル登山映像もまとまった形ではまだTVには乗らず、劇場用映画として公開されたのみ(ニュースでは取り上げられたであろうが、その状況は把握できない)。

【映画】 『マナスル』 
1953秋公開 毎日新聞社
構成:木下正美、撮影:依田孝喜。
ネパール・マナスル山群の未踏峰マナスル(8156m)世界初登頂へ向けた1953年3~6月の日本山岳会第一次マナスル登山隊(隊長:三田幸夫)の記録映画。7750mまで到達したが登頂失敗。麓のチベット人集落サマ(Samagaon)の様子、チベット仏教なども紹介。チベット文化圏の映像が日本に紹介されたのは、これがはじめてと思われる。
参考:
・毎日新聞
・日本山岳会 (1954) 『マナスル 1952-3』. 毎日新聞社.

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【 1954日本山岳会第二次マナスル登山隊関連 】

1953年の第一次隊に続き、1954年3~6月第二次マナスル登山隊が派遣されたが、地元サマ住民の反対に遭いマナスル登山は断念。ガネッシュ・ヒマール(7406m)登山(登路不良により登攀断念)、ヒマルチュリ(7893m)登路偵察に切り替えた。
隊長:堀田弥一、隊員:竹節作太(報道斑、毎日新聞運動部長)、依田孝喜(報道斑、同写真部員)ほか。
三次にわたるマナスル登山隊では一貫して毎日新聞社が後援していたため、マナスル報道は毎日新聞系列の独壇場。しかし当時まだ毎日系列テレビ局はなく、テレビ報道は主に日本テレビが担当。
参考:
・日本山岳会 (1958) 『マナスル 1954-6』. 毎日新聞社.
・竹節作太 (1955) 『ヒマラヤの山と人』. 朋文堂.

世界めぐり マナスル  
1954初(15分) 日本テレビ
出演:竹節作太、依田孝喜。
出発前の抱負を語る番組と思われる。
参考:
・毎日新聞

登山マナスル  
1954春(15分) 日本テレビ
出演:三田幸夫(1953年の第一次マナスル登山隊長)。
第二次隊出発当日の壮行番組のようだ。
参考:
・毎日新聞

ヒマラヤ報告  
1954夏(30分?) 日本テレビ
出演:堀田弥一、竹節作太、依田孝喜。
第二次マナスル登山隊の報告。
参考:
・毎日新聞

マナスル登山隊  
1954夏(20分) NHKテレビ
出演:竹節作太。
同じく第二次マナスル登山隊の報告。
参考:
・毎日新聞

【映画】 『白き神々の座』  
1954秋公開 毎日新聞社
演出:高木俊朗、撮影:依田孝喜、語り:宇野重吉。
第二次マナスル登山隊の記録映画。
参考:
・毎日新聞
・日本映画データベース  http://www.jmdb.ne.jp/
・Gogh's Bar : MOUNTAIN MOVIE MANIA
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gogh0808/MotMovieList.htm

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【 1956日本山岳会第三次マナスル登山隊関連 】

1956年3~5月に派遣された第三次マナスル登山隊が、5月9日、11日の両日ついにマナスル(8125m)の世界初登頂に成功。日本人初の8000m級高峰制覇でもあった。
隊長:槇有恒、隊員:今西寿雄、加藤喜一郎、大塚博美、依田孝喜(報道班)ほか。
参考:
・槇有恒 (1956) 『マナスル登頂記』. 毎日新聞社.
・依田孝喜 (1956) 『マナスル写真集』. 毎日新聞社.
・槇有恒 (1957) 『マナスル』. 毎日新聞社.
・竹節作太 (1957) 『ヒマラヤの旅』. ベースボールマガジン社.
・日本山岳会 (1958) 『マナスル 1954-6』. 毎日新聞社.

【ラジオ】 週末クラブ 座談 マナスル登頂に成功して  
1956夏(30分) ラジオ東京
出演:槇有恒、今西孝夫。
マナスル登山隊員12名による座談会。ネパールで収録。
参考:
・毎日新聞

座談 マナスルの頂上に立ちて  
1956夏(45分?) KRテレビ
出演:槇有恒、今西寿雄、加藤喜一郎。
帰国した登山隊員が苦労話、エピソードを語り合う。出演者たちは、同日引き続きラジオ東京の座談会にも出演。
参考:
・毎日新聞

【ラジオ】 特別座談会 マナスルから帰りて  
1956夏(30分) ラジオ東京
出演:槇有恒、今西寿雄、加藤喜一郎、大塚博美、依田孝喜。
帰国したマナスル登山隊員たちが語り合う座談会。テレビに引き続き出演。
参考:
・毎日新聞

【ラジオ】 劇 マナスルの凱歌(全2回) 
1956夏(30分×2) ラジオ東京
作:並河亮、演出:和田清、語り:高島陽、詩の朗読:高橋和枝、出演:石黒達也、勝田久、久米明ほか。
マナスル登山隊の苦闘を描くドキュメンタリードラマ。現地で録音された雪崩の音、夜鳥の声、シェルパの歌なども効果音として使われている。
参考:
・毎日新聞

マナスル登山隊  
1956秋 KRテレビ
おそらく映画『標高8125米 マナスルに立つ』公開に合わせた宣伝番組。
参考:
・毎日新聞

【映画】 『標高8125米 マナスルに立つ』  
1956秋公開 毎日映画社
演出:山本嘉次郎、撮影:依田孝喜、語り:森繁久弥。
第三次マナスル登山隊の登頂記録映画。ビデオ化されている。この映画は大ヒットし、その後の登山隊・探検隊はこぞって記録映画を残した。
参考:
・毎日新聞
・日本映画データベース
http://www.jmdb.ne.jp/
・Gogh's Bar : MOUNTAIN MOVIE MANIA
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gogh0808/MotMovieList.htm

2014年5月22日木曜日

ヒマーチャル小出し劇場(13) ヒマーチャルのバス旅

HP州の旅はバスが中心となります。

Kalka-ShimlaやJogindernagar-PathankotのToy Trainなど、鉄道も興味深いのですが、HP州奥地への旅となると、交通手段はバスしかありません(注)。

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このバス旅がなかなかつらい。直線距離はたいしたことなくとも、道路がウネウネ曲がりくねっている上に高度差もあるので、やたらと時間がかかります。

おまけに便数が少ないので、ほとんどのバスはギューギュー詰め。半日立ちっぱなしもざら。その満員の中に羊を持ち込む客までいて、わけがわかりません。羊はおもらしするし。

いっそ屋根に乗る方が気持ちいいのですが、本来これは違法なので、車掌に降ろされることもしばしば。まあ、実際車内に入りようがない時は仕方ないので黙認されていますが。

屋根に乗っている時は、落ちないよう居眠り厳禁。とにかく揺れますから。あと、木の枝が顔面を直撃するので注意。


楽隊もバスで移動

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道路状況も悪い上に運転も荒っぽい。谷底へのバス転落事故のニュースも年に数回聞きます。

そんな状況ですから、旅行者はもとより地元の人々もバスに酔います。吐瀉物は窓から撒き散らし放題。だからバス後部の席では、窓を開っぱなしにしない方が吉。

バスから降りた直後は「あー、もう乗りたくない」とは思うものの、やっぱりやめられないのがヒマーチャル旅の魔力です。


ゲロでコーティングされたステキな車体

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(注)

車のチャーターなどは貧乏人には夢のまた夢、私にとってはチョイスの俎上にすら上がりません。調べる気もないので、金額とかは何も知らない。いつも、埃だらけの私の横を疾走して行くのを指くわえて眺めるだけ。