2014年3月29日土曜日

「ブルシャ」の語源 Revisited

はい、語源シリーズ第3弾。今回は、以前さんざん検討したはずの

འབྲུ་ཞ་/བྲུ་ཤ་ 'bru zha/bru sha (ブルシャ)

の語源についての補足情報。

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ブルシャ話について詳しくは、

2009年6月17日 「ブルシャスキーって何語?」の巻(1) ブルシャスキー語

から

2012年3月1日木曜日 「ブルシャスキーって何語?」の巻(36) おわりに

までを参照してください。

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そこでは、ギルギット~フンザを示す地域のチベット名

འབྲུ་ཞ་/བྲུ་ཤ་ 'bru zha/bru sha (古音:ブルシャ/現代音:ドゥシャ)

の語源を、

・ブルシャスキー語の「boor sah(西に沈む太陽)」→「'bru zha」
・王朝名「Patola」→国名/地域名「Bolor」→「'bru」
・ブルシャスキー語の「boori(銀)」→「'bru」
・シャンシュン語の「sha(石)」→「zha」
・キナウル語の「shya(に属する)」→「zha」

あたりが関係しているのではないか?と推測しましたが、結局はっきりした結論までは至りませんでした。

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しかし、当時は重要項目にうっかり気づかずにいました。それは、

2009年8月22日 「ブルシャスキーって何語?」の巻(16) ブル氏起源神話の検証

にあります。その部分を再録してみましょう

┌┌┌┌┌ 以下、再録 ┐┐┐┐┐

10世紀頃のボロル/ブルシャはどういう状況だったのか?というと、実はこの時代は史料に乏しく、具体的にはほとんどわからない状態です。

唯一、

・著者不詳 (982) HUDŪD AL-'ĀLAM(世界地理誌-東から西まで). (ペルシア語)

のわずかな記述があるのみです。

・Vladimir Minorsky (1937)HUDŪD AL-'ĀLAM(THE REGIONS OF THE WORLD). pp.xx+524. Luzac, London. →上記史料の英訳。一部、桑山(1998)収録
・桑山正進・編(1998) 『慧超往五天竺國傳研究 改訂第二刷』. pp.xii+292+pls. 臨川書店, 京都. →Minorsky(1937)を一部収録

からその記述を見てみます。

┌┌┌┌┌ 以下、桑山(1998)収録のMinorsky(1937)の英訳に基づき和訳 ┐┐┐┐┐

ボロルは広い国である。その王は太陽の息子と称する。王は日が昇るまで起床しない。息子は父より先に起床してはいけないからだという。王の称号はBulūrīn Shāhである。この国には塩は産出しないのでカシミールより輸入している。

└└└└└ 以上、桑山(1998)収録のMinorsky(1937)の英訳に基づき和訳 ┘┘┘┘┘

まだ、イスラム化していない状況がわかる程度で、王家がテュルク系とみられるトラカン朝なのか、その前のシャー・レイス朝なのかも不明です。

└└└└└ 以上、再録 ┘┘┘┘┘

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問題の箇所は、

> 王の称号はBulūrīn Shāhである。

この部分になります。

つまり、

・王朝名「Patola」→国名/地域名「Bolor/Bulur」→「'bru」
・ペルシア語の「shah(王)」→「zha」

という考えです。

これまでの説と違って、「Bolor Shah(Bulūrīn Shāh)」という名称は実際に文献に現れる名ですから、複数の言語から単語を引っ張り出してくっつけたりして、こねくり回す必要がない点が有利です。

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そう考えると、

2012年2月5日日曜日 「ブルシャスキーって何語?」の巻(27) 漢文史料に現れる「ブルシャ」その4

であげた、ブルシャの漢字表記「布路州」も、チベット語「'bru zha」経由でなく、現地での自称「Bolor Shah」を直接写したものである可能性も出てきます。

『HUDŪD AL-'ĀLAM』と継業のインド行は、ほぼ同じ年代、すなわち10世紀後半にあたります。

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しかし、いいことばかりとも言えません。

「Bolor Shah」というのは王の称号です。これがチベット語では地域名に転じた、とするには一ひねりする必要があります。

チベット語文献には「bru zha rje(ブルシャ王)」という言葉も存在しているので、これでは「shah」と「rje」で「王」の意味が重複してしまいます。

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また、現在はフンザ人の自称民族名は「Burusho」というのですが、ペルシア語の「shah」の母音が変化して「-sho」となる可能性はあるのでしょうか?

これは、「Bolor Shah」という言葉が、一度現地では完全に忘れ去られた、と考えれば解決するのかもしれません。つまり、チベット語にのみ「'bru zha」として生き残り、その後現地に逆流してきた、という仮説。「'bru zha」の「zha」が「shah」が転じたものである、ということがわからなくなっていたので、語尾変化も気にする必要がない、ということです。

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このように、「'bru zha」の語源としての「Bolor Shah」も、現状では可能性のひとつに過ぎないのであって、確定とは到底言えません。

しかし、これもまた一歩前進であって、これで議論が活性化するなら結構なことです。

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